これが日本のエセ民主主義だ〜ブログやHP規制反対のパブコメを!その6

メディア(知るための手段のあり方) / 2007-07-10 06:28:09

 


 冒頭の記事を見比べてほしい。いかなる感想を持たれるだろうか?私は、この二つが頭の中で並んだ時、非常に強い憤りを感じた。日本がエセ民主主義国家であることの証明のように思えたからだ。

 コピーナインス(デジタル放送コピー9回まで)の記事は、7月7日の読売夕刊一面トップの記事だ。以前、 「市民に分からないようにコピーワンスの意見書募集〜総務省,テレビ局の意見を採用か?! 」というエントリーで取り上げた日本独自の制度「コピーワンス(コピーは一回だけ許したるよ)」が緩和されるという内容だ。

 安倍のアップが写っている左下の記事は、7月9日の朝日夕刊一面トップの記事。赤城農水相の事務所経費問題で改めてクローズアップされた、「政治団体」について領収書の添付が免除されている問題について、安倍は、政治団体にも領収書を義務づけるように法改正するつもりはない、と言い切ったことが伝えられている。対策としては、「基本的に資金管理団体(※ヤメ蚊注:領収書の添付が義務づけられている)になるべく集中していくことが大切だろう」という程度らしい。

 さてさて、怒りの原因に気付かれた方も多いと思う。

 確かに、商業目的の違法なコピーについては、取り締まる必要があるのは間違いない。中国の状況は典型的だが、コピー天国状態には問題がある。だからといって、機械的にコピー回数に制限をかけるのはいかがなものか?

 システムとして歯止めをかけるのは最も効果的であることは間違いない。違法なコピーをしたケースに罰則を設けて取り締まるよりも、コピーできなくしてしまえば簡単に違法コピーを防ぐことができる。しかし、それって、市民の正当な情報利用を制約することにならないだろうか。

 確かに、コピーが一回しかできない「コピーワンス」の制度よりは、9回まで緩和された方がましだが、他国では、このようなコピー回数制限によって、著作権を保護しようという流れは全くない。

 前記エントリーで紹介した「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」〈情報通信審議会 平成16年諮問第8号 第3次中間答申〉の中でさえ、【諸外国では、コンテンツ保護自体を実施していなかったり、「EPN」を基本としたコンテンツ保護の仕組みを導入しようとしている中で、日本において全ての放送番組に対して「コピーワンジェネレーション」を適用する理由・必要性があるのか、合理的な説明が必要】という指摘がされているほどだ。

 1回から9回へ回数を増やしたからそれでいいという問題ではない。

 制度として、利用する側の市民をまったく信用せず、正当な利用(例えば、大学のゼミである番組で取り上げた社会的問題を勉強するため、順次、コピーをとるような場合)を制限してさえ、違法なコピーを絶対にさせないようにすること、これって行きすぎではないだろうか?


 さ〜て、それに対し(激怒)、朝日の記事の安倍の発言は何だ!

「自分たちはきっちりやるから、制度で縛るようなことはしません。まぁ、私たちを信用して下さい」、彼は、こう言っているのだ。


 ふざけるな!市民は、他国にもないような非常に権利制約的なシステム・制度で縛っておいて、自分たち為政者は、他国では当然なされるような政治の健全性を高めるようなシステム・制度を導入することはしない。

 このようなことがまかり通っていることは、日本に、民主主義がないことの証明だ。私たちはエセ民主主義のもとで日々、「パンとサーカス」を与えられて、生きているのではないか?私たちは、家畜ではない、それぞれが主体的な判断で選択をしつつ生きる自由な人間だ。

 これまで、総務省が、パブリックコメントを募集している「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)の「中間取りまとめ」について、5回書いてきました(その1その2その3その4その5←クリック)。しかし、このパブコメはまだまだ知られていません。〆切は7月20日です。

 実は、コピーワンスのときにも、政府は、パブコメをひっそりとしていた(ここ参照←クリック)。

 ここで、私たちが声を挙げないと、私たちはいつまで立っても家畜のままだ。少なくとも、声を挙げられない制度を作るな、自由な表現の場を守れ、という声を挙げて下さい。

 そして、参院選挙でも、重大な選択をしましょう。太らされて、ある日突然、トラックに乗せられていく運命を選ぶか、自ら野生の中で逞しく生き抜くか、答えははっきりしているのではないだろうか。私は、自民党(+公明党)や大企業に、飼われていきたくはない!対等の立場で声を挙げ、判断できる場で生きていきたい。