戦争に追い立てる謀略的なテロ
 長崎市長暗殺事件どう見るか
               
「テロ撲滅」騒がぬ権力側    2007年5月2日付


 長崎市で選挙中の伊藤一長市長が暴力団組長に銃殺されて二週間がたとうとしている。事件は犯人の「個人的恨み」で収斂(れん)させる動きであるが、犯人が何を考えていたかに関係なくその効果としての実際的な意味はまことに謀略的な政治テロである。アメリカを公然と批判して核廃絶を訴えた被爆地の市長が殺されたという事件は、核の使用を叫ぶ勢力       市民の弔問が続く銃撃現場
を利するものであり、3000人あまりが殺された9・11ニューヨーク・テロ事件よりもはるかに多数の人命に関わる大政治テロ事件である。暗殺事件とその後の選挙にあらわれた現象、また政府、警察、メディア、各政治勢力などの対応を見ると、あれほど「テロ撲滅」を叫んできたのと比べて、今度のテロにはまことに慎重的、好意的といわざるを得ない。本紙では、この間の動きの中から、今度の事件の性質と、この事態をどう見るべきか論議してみた。

  核使用叫ぶ勢力利する効果
 司会 事件とその後の様様な動きの中からどのようなことが明らかになっただろうか。
  現職市長が選挙中に殺されたわけで、これは犯人の動機がどうこういうまでもなく、客観的な効果として政治テロだ。殺された直後は政府のお偉方も「民主主義への挑戦だ!」などとワーワーいっていたが、その後の流れのなかで「民主主義を守れ」という方向は尻つぼみだ。警察も政治家もメディアも、「個人的動機」で収斂させる様子だ。扱い方を見ると「行政対象暴力」に収め、「銃が敵だ」「暴力が敵だ」という調子だ。みんなが感じているのは平和と民主主義への攻撃であるし、それにたいして平和と民主主義を守れというものだ。だから長崎市民の田上氏を勝利させた選挙での行動は、山口県でも広島県でも非常に共感を呼んでいる。
  事件の効果としては岩国・井原市長が米軍再編問題で反対してきたのがフラフラとなって条件交渉にはいるといったが後に取り消したり、広島・秋葉市長が公務中の警備を警察に頼んだりしている。全国の首長たちにとっては人ごとでない心境で受けとめられることとなった。「下手に逆らうと殺される時代になった」という受け止めだ。インテリ層とか革新勢力もおとなしくチンとしている。これはいったい何かだ。今度の事件は、そういうことが全国的に見た最大の問題ではないか。恐怖心を持たせてものがいえなくさせていく。
 C 「日共」などはアメリカで起きた「韓国」留学生の銃乱射事件のキャンペーンの方を熱心にやっている。
 D 事件後、単独犯行といっていたが、「建設会社の社長が現場まで送っていた」といって逮捕し、当日別の後援会事務所を見張っていたという20代の若いのも逮捕した。「テレビ朝日に送った文書も二人が代筆していた」といっている。これも個人的な動機の手伝いという範囲をでない。

  浮彫になる疑問  背後勢力の姿も
  司会 この事件の不思議さがだいぶ浮き彫りになりつつある。
  いくつかの疑問がある。どうしてあの程度の動機で殺人までするのか。ああいう行政トラブルなんていくらでもある。犯人がテレビ局にまで手紙を書き、報道がどうなっているかを気にするなど、どうして個人的動機を世間に認めさせるのに熱心なのか。純粋の個人的感情の高ぶりだったら、どうして背後からしかもとどめを撃つようなことをするのか。暴力で飯を食うプロであるヤクザが金にならない人殺しをどうしてするのか。普通チンピラにやらせるのにどうして組長がやったのか。また、どうして選挙中の投票4日前というタイミングでやったのか。さまざまある。
 E 4年前のことをいまになって思い出したように犯行に及ぶというのが不可解だ。ヤクザを知っている人の話だが、背後からではなくて正面からドスで襲うのが普通だといっていた。それほど面子にこだわった恨みの純粋感情による行動なら、相手に思い知らせるという意味でもなおさら正面からだろうと思う。伊藤市長は誰からなぜ殺されたか分からないような殺され方だった。これは背後勢力に金で雇われた「殺し屋」だと見なすなら説明がつく。
 B この犯人は個人的動機を世間に認めさせるのに熱心だ。殺した後、真相は個人的恨みということを貫き通して、真相については明かさないという条件で契約した「殺し屋」ではないか。それだったら、どうして組長がやって、チンピラを使わなかったかという説明がつく。チンピラだったらペラペラ喋りかねない。それは背後勢力としては困るということではないか。それはますます背後勢力の存在を疑わせる。
 A 恨みを晴らすのなら「どうして選挙中なのか?」というのも大きな問題だ。事実市長選は大変動になった。それはどう動いたかだ。登場したのが娘婿の横尾氏だった。西日本新聞の首相官邸記者で当然安倍首相とも面識がある人物だ。これが「伊藤市長の遺志の継承」「家族と後援会の強い意志」として報道された。その動きを見て、「地        大手商業新聞による報道
元のものでなければいけない」と市課長の田上氏の出馬となり、市民の運動が広がって田上氏が当選した。これはそれまでの流れから見ると明らかに番狂わせだった。ここにトリックと、それを破る市民の力があった。
 伊藤一長氏という個人の私有財産は確かに家族が相続するものだ。しかし首長は市民のものであり市民が決めることだ。伊藤市長は、地元たたき上げ型の政治家だ。首長だからいろいろな問題はあったかもしれないが、市民に対して頭が低く、気さくだったといわれるし、市民を基盤にして大型店の出店に反対したり、被爆地の市長として譲れない原爆問題としてアメリカ批判をやったりする。「市民とともに」「市民に支えられて」国策にもものをいうタイプの保守政治家だったと思う。これは今増えている下関の江島市長のような、アメリカ帰りの冷酷な首長のタイプではない。
 横尾氏については、長崎を知らないし、長崎の人たちも知らない。家族というが落下傘候補と同じだった。記者会見でも伊藤市長の何を継承するのか分からないという姿勢だったし、平和行政については見直すということもいっていた。娘婿であり善意ではあっても、客観的に見て「市民とともに」という伊藤市長の政治姿勢とは明らかに違ったものだった。だからここには、家族の心情も利用した大きな背後勢力の力として、伊藤市長への支持と同情を伊藤市政の変質に動員するというトリックがあったと思う。とてもドタバタの中ですぐに考えついてしかも実行できるトリックとは思えない。そして伊藤市政を支えてきた支持層が、田上氏の支持基盤になっていったと思う。
 D 伊藤市長は山口県の長門市の出身だ。毎年両親の墓参りにきて、「ここにきたらホッとする」といっていたという。地元では「カズちゃん」といわれ、アメリカを堂堂と批判するようなところが誇りだったといわれている。欧米列強をはねつけた松陰や高杉が活躍した山口県だ。そこの身内の人が「伊藤一長は娘婿を市長の後継者にする考えはなかったと思う」といっていた。政治姿勢が違うということだと思う。

  狙いは市政の転覆 周到に選挙操作
 A 暴力は政治の手段、戦争は政治の延長だといわれる。人殺しには目的がある。あのタイミングでの伊藤市長の殺害が、選挙を操作することも含めたプログラムだったと疑うべきだ。横尾氏の出馬は家族の強い意志のように報道されたが、市長選に出るということを家族が決められるわけがない。力を持った「その筋」から「やれ」という働きかけがあった、と見なすのが当然だ。連合長崎などが押したが、決定的だったのは久間防衛相だろう。報道では別の候補の腹案があったが、家族のあまりの強い意志で承認したという書き方だったし、選挙後も久間大臣の側近が田上氏をやったようなことを書いているが、何が何だか分からないようにするというのはこの間の報道だ。郡部では横尾氏の票が多かったところを見ると自民党の上はその方向だったと見られる。メディアも東京からも大挙して駆けつけ、横尾氏の方をおもに追いかけた。田上氏の方は蚊帳の外という感じだった。
 B 長崎市役所に行くと、職員が「選挙がムチャクチャになった」と嘆いていた。「もう一日生命がつながっていたら、選挙は仕切直しができた。しかし一番微妙なギリギリのラインで亡くなられたから、選挙になだれこまざるをえなかった。もう一日あれば違った」と。殺し屋は倒れたところにとどめの一発まで撃ち込んだというが、あの日に確実に殺さなければならなかった理由があったのではないかといわれていた。
  市長を殺して市民があれよあれよと思う間に選挙で長崎市政を市民から取り上げるというのが背後勢力の計画だったと思う。犯人そのものは金が目的であろうが、雇った背後勢力は選挙を当然意識している。アメリカが戦争をするときも目的なしにはやらない。原爆を投げつけたり爆弾を山ほど投下するが、あとの占領目的を考えてやった。長崎でも下関でも民家は焼き尽くすが三菱の造船所は残すとか、東京大空襲でも皇居とかアメリカ系の聖路加病院は避けるとか。市民のために尽くしてきた伊藤家については一長氏を殺された上に選挙でも利用されて二重の悲劇だったと思う。残酷な背後勢力だ。
 B 横尾氏の出馬について、市民のなかでは微妙な
  
    市長選の開票所        空気があった。「よく出てくれた」という感じではなかった。「どうなるんだろうか?」の不安感の方が強かった。そこに田上氏が登場して「よく出てくれた!」となって、盛り上がっていった。選挙の結果は、市内の自治会関係者、商店街、市の職員などでも大喜びしていた。長崎市民の底力を示したという実感があった。民主主義と地方自治を守る力という確信だ。それは伊藤市政をこれまで支えてきた地元の力だ。

  国に逆らえば抹殺 衆院選から流れ
 司会 この間の大きな政治的な流れの中でこの事件を見てみたい。
 D 安倍首相の対応が非難された。事件の一三分後に「捜査当局の真相究明を」という冷ややかなコメントを出した。手回しがよすぎるというので報道陣に「一時間後に出したことにしてくれ」と頼んだという話もある。その暴力団と安倍氏の秘書が関係があると週刊朝日がやった問題では、我を忘れて激怒した。「真相」に一番こだわっていたのが犯人と安倍首相だった。
  金子長崎県政とともに伊藤長崎市政も裏金問題で叩かれていた。選挙前半の争点は裏金問題一色だった。他の対立候補はみんな裏金批判を展開していた。久間大臣は伊藤氏を参議院選挙に出そうとしていた。つまり市長を変えようとしていた。伊藤市長は九州市長会(115市)の会長をやっていたし、全国市長会(800市)の会長にも3月に立候補していた。九州市長会は「道路特定財源の一般財源化は絶対反対」の決議を上げたり、地方としての発言を熱心にやっていた。長崎県では知事・市長、町村会長、議長などが一体となって「地方財政の改革に関する緊急アピール」を出したり、地方交付税削減は断じて許さないと主張するなど、近年の構造改革による地方切り捨てに抵抗する要素も強かった。その中心にいた人物が全国市長会のトップに名乗りを上げるまで、つまり全国の自治体に影響を及ぼすところにきていた。
 A 最近の流れを見ると、アメリカに逆らう政治家というのが切られている。先の衆院選では、郵政民営化に逆らった自民党代議士がいわゆる「刺客」を送り込まれ、メディアからはおもしろおかしく大悪人のようにやられて、抹殺されるということがあった。「郵政民営化はアメリカに何百兆円も差し出すことだ」といっていた部分だ。自民党の代議士たるもので、アメリカに逆らうものは抹殺するというものだ。地方の利益を代表することとアメリカにごまをすることを統一して自民党で飯を食うというのではダメで、地方の利益、国民の利益など目もくれずにアメリカに忠勤を励むものしか自民党代議士としては認めないというものだったと思う。
 D 最近では県知事が不正問題摘発で相次いで首になっている。福島県知事などは原発にも文句をいっていたが、大型店出店にも規制をかけようとしていたし、道州制に反抗する知事会派閥の中心的な存在でもあった。広島県は米軍再編に反対した藤田知事が、直後から後援会問題で叩かれる始末。それなら石原・東京都知事の方がまだ悪いことをしているはずだが、やられない。
  山口県の職員に聞いても、いわれている裏金問題というのはどこでもやってきたことだという。以前は制度にもなっていたという。それを摘発するのは別の基準が作用している。首長たるもので国策に逆らうものは認めないというものだ。最近の官製談合などであっちこっちの首長がやられているが、安倍総理丸抱えの下関・江島市長がやっている露骨な官製談合と比べたらかわいいものだ。江島市政についてメディアも警察も動かないのも下関では定説になっている。
 E その流れが市長にまで来たということではないか。しかも今度は惨殺という形で。全国市長会でいうと、山口県柳井市の河内山市長などが重要ポストにおさまって道州制論議の旗を振っている。あのような若手で松下政経塾育ちのようなもの、「チーム安倍」といわれるアメリカ・ハーバード大学出のようなものが重用される。安倍首相なり政府中枢から見た場合、全国の市長は下関の江島市長型が望ましいのだ。江島氏と伊藤氏を比較した場合、非常に対極的だ。

  下関見ても明らか 暗黒政治の先端
  下関と長崎は町の構造が似たところだ。水産業、それに関連した造船、鉄工、また商業、貿易などで発展してきた。下関の寂れようは長崎と比べてもひどいものだ。商店街が、長崎は寂れつつあるだろうがまだ活気がある。下関は壊滅的だ。大型店が野放しだからだ。元元の経済は「時代遅れ」という評価でワザとでも切り捨てる。市の公共事業でも、地元業者には電子入札を横須賀に次いで導入して70%あまりのダンピング入札、そして数十億、百数十億という箱物事業を、実績のない安倍総理出身の神戸製鋼などの市外業者発注だ。自由競争は地元だけで、大企業事業は競争なしの官製談合というインチキだ。そして10年で600人も自殺者がでる。
 暗黒政治としても下関が先駆的だ。市長はいくら市民に嫌われても安倍事務所に認められたら当選するという神話ができている。初当選で江島氏は反自民を掲げて、裏では安倍事務所とつうじ、自民党支持票と反自民票を集めて当選するという芸当をした。日本人の常識では詐欺であるが、アメリカ型市場原理選挙は、票はたくさん集めたのが勝ちであり、だまされたのは本人の自己責任、だましたのは選挙テクニックという調子だった。市民に尊敬され支持されることはやらないが、対抗馬をつぶすのは得意で、自由な選挙にならない。安倍氏に逆らった元衆議院議員の古賀氏は自分の会社である日東建設が市の入札を完全排除されて倒産し、政治家として抹殺された。
  安倍氏が総理になったということで、下関ではみなが「日本中を下関のようにする」と心配した。政府中枢が、安倍派丸抱えの江島市長のようなタイプを全国の市長にしたいというのは疑いないことだ。伊藤長崎市長のような地域密着型の国にもものをいうタイプが全国市長会で影響を強めるのは、うれしいことではないというのは明らかだ。
 E 今度の地方選でも県知事などには中央省庁から官僚が落下傘でポストにおさまった例が多い。道州制、すなわち中央集権国家作りともセットだ。47都道府県のうち官僚出身は29人になった。福岡市長選では西日本新聞の記者が民主党で当選した。ブロック紙としては長崎新聞のような県紙に対抗して道州制はビッグチャンスだろう。
  全体として地方切り捨てが相当に進行してきている。自治体合併で地方生活はメチャクチャだ。農業もFTAを認めたら壊滅だろう。農漁村生活は成り立たない。集落として崩壊するところが増えている。今の年寄りが死んだら無人になる。地方都市の崩壊も下関を見ても深刻だ。安倍首相は地方に外資を導入するといっている。寂れた後に外資導入で外人の町にするというわけだ。政府はもう一段地方切り捨てをやろうとしているし、今度の事件の背景として、地方との矛盾が相当に深刻になるという問題がある。
  「伊藤市長は殺されたが、江島市長が殺されることはない」というのは、下関市役所とか市民のなかで一致した見方だ。せいぜい先帝祭で卵をぶつけられるぐらいだ。人民は暗殺などしないからだ。人民に嫌われ、国のいいなりになっているやつは暗殺されないし、国に逆らった者は暗殺された。今回の事件はそういうテロだ。

  核問題が最大要因 米国公然と批判
  伊藤市長が殺された問題で最大要因は原爆問題だろう。アメリカの世界戦略でもっとも鋭いのは核問題だ。今も朝鮮やイランは核問題だ。原爆で脅しつけて世界をいいなりにさせているのだ。被爆地をアメリカに従わせるというのは、アメリカの戦略上大きな位置を占めている。そして「幾百万人の命を救った慈悲深い行為だ」「感謝せよ」とまでいってきた。  事件の本紙号外を読む長崎市民(観光通り商店街)
原爆投下は広島と長崎だけだ。これは誰がどう見てもアメリカの犯罪だ。そして今も、アメリカは核を独占し、先制使用まで公言している。しかもミサイル防衛構想などといっているが、国民保護計画でも日本に対する核攻撃を想定した計画だ。もう一度原爆を繰り返そうかというのに、これを被爆地の市民が黙っている訳がないのは当たり前だし、被爆地の首長がアメリカを批判しなければ誰がするのかという関係だ。ところがこれはアメリカにとって許せないという関係だ。
 B 広島の被爆者もいっていたが、伊藤市長の殺され方は原爆による殺され方と同じだといっていた。何が起きたのか、なぜ殺されたのか、誰に殺されたのか、何も分からないまま無惨に殺されていった。伊藤市長を殺した背後勢力というのは、原爆で何の罪もない多くの無辜の市民を眉根一つ動かさずに殺した、その種類の連中だということだ。秋葉市長などと比較して、広島でも伊藤氏の方が人気が高い。秋葉市長は、原爆投下者との和解まで主張するし、アメリカに対して隷属的だと見なしている。広島市長選のパンフレットでは、リンカーンの言葉を引用して自分のスローガンにしているぐらいで、米国留学仕込み。外国に行ったら伊藤市長は日本語なのに、秋葉市長は英語でぺらぺらやっているといわれている。

   暗殺は米国の手口 対日戦争も同じ
 D 日本で暗殺とか謀略というのは珍しいことではない。敗戦後、中国革命が発展し朝鮮戦争をはじめようという時期、官公労働者の大量首切りをやり、共産党員とその支持者のレッドパージをやる時期、列車転覆の松川事件、下山総裁轢殺の事件を起こした。占領軍がやっていて、それを国鉄労組、共産党員がやったとでっち上げた事件だ。安保斗争後に、「アメリカは日中両国人民の敵だ」といった浅沼稲次郎が暗殺され、中央公論死傷事件も起きた。
 A 今度の政治テロ、謀略というのは、アメリカのやり方だ。以前リビアで、カダフィの自宅をアメリカがいきなり空爆したことがあった。イラクでもフセインの家族がやられた。金正日も姿を隠したといわれていた。逆らう国の元首をピンポイント空爆で暗殺し、政権転覆をやるというのはアメリカの常套手段だ。
  パキスタンのブットという大統領がいたが、暗殺された。なにが原因かといえば、原子力エネルギーを開発して工業近代化、自立の方向を目指した。これが許せないと殺された。イタリアのモロ首相は「赤い旅団」に殺された。「赤い旅団」は左翼の過激派だ。アメリカの都合に合わない人間の暗殺例はいくつもある。
 A 国の指導者を暗殺するだけでなく、政権転覆のプログラムを持ってやっている。そこに、ちゃんと弁解がましい欺瞞もくっつく。
 D アメリカの「裏庭」と呼ばれた中南米でもかなり暗殺された。パナマのノリエガは捕まえられてどうなったのか。反米を掲げるキューバのカストロも狙われ続けている。現在ではベネズエラのチャベスも狙っているといわれている。
  9・11ニューヨークテロ事件というので、アメリカは「パールハーバーと同じだ」といって「テロ撲滅」を叫んで、世界中で空前の監視・弾圧体制をとってアフガン・イラクに戦争を仕掛けた。アフガンがかくまったというアルカイダのビンラディンはいるのかいないのか分からず、イラクも大量破壊兵器など無かったことが証明された。間違いだと分かっても反省も謝罪もしない。こんな野蛮な国はない。
 第二次大戦がそうだ。対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。
 D 今度の長崎事件も、日本中の政治に関わるものはみな「背後勢力の仕業」と思って、縮み上がるという効果をもたらしている。しかし表向きは「個人的動機ですよ」と装う欺瞞だ。
 E 戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった。

   9・11と違う扱い 真相知る安倍首相?
 A 今度の事件をめぐっておかしいのは、誰がどこから見てもテロ事件であるのに、全然騒がないことだ。全国の市長の代表になるかという市長、しかも核の使用に反対した被爆地の市長を殺したわけだから、核の使用を推進する最大テロの側を激励するものだ。ニューヨーク・テロ事件が3000人ほど殺したというのでアフガンからイラクまで戦争を始めたが、それとは比較にならない人類の生命を危険にさらす問題だ。ここで、政府、警察、メディア、各政治勢力の対応はどうかという問題だ。どうして今回ほどのテロ事件に対して、早く忘れてくれという調子で、今までのテロ問題のように騒がないのかということだ。
 安倍首相は北朝鮮拉致問題つまり「テロ対策」だけが取り得で首相になったようなものだ。「テロ撲滅のために」といって、防衛庁を防衛省に格上げし、自衛隊の海外派遣を本来任務にし、武力攻撃対応の国民保護計画を全国市町村にやらせ、共謀罪のようなものまでやろうとし、憲法改定までやろうとしている。
 かれらは、すべてのテロが悪いのではなく、「いいテロ」と「悪いテロ」を区別しているのだ。イラク人を何十万人も殺してきたテロは「いいテロ」であるように、伊藤市長暗殺の政治テロはどうみても好意的・慎重な扱いだ。「個人的動機」でおさめる白白しさを見ていると、日本が「テロ国家」あるいは「テロ支援国家」のようだ。
 安倍首相や久間防衛相、またメディアや警察などは、この事件の背後勢力、その真相を知っているのだろうと疑われても仕方がない。「かれらに事情聴取すれば真相がわかるのに」とだれでも思う。しかし「そんな恐れ多いことを」という雰囲気だ。独裁国家になったようだ。
 D 伊藤市長暗殺の背後にアルカイダというわけにはいかないが、テロと騒がないところをみると自分たちの身内がやったと思っているということだ。権力全体がごまかしにかかっている。ここが深刻だ。まさに、有事法から国民保護法、憲法改定まできて、戦時体制、警察国家づくりの流れのなかで起こっている民主主義圧殺だ。
 A アメリカのための戦争に導く民主主義の圧殺というのが最大の問題だ。やり方が残酷かつ凶暴だということと、欺瞞しなければやれないという弱みがある。全国的大衆的にこのような陰謀が暴露されるなら彼らもたまったものではないという関係だ。いかにアメリカや大資本が権力をふるっても、生産人民が協力しなければやっていけない。首長を大衆から切り離して国のいいなりにしようといっても、大衆から切り離したら力の源泉を自分で切り捨てることになる。
 戦争反対という勢力は多いが、このような恐怖政治、ファシズムに対して、大多数の大衆を代表して立ち向かうというのでなければ戦争を阻止することにはならない。日本民族は第二次大戦で三二〇万人も殺され、その廃墟のなかから立ち上がって戦後の社会を建設してきた。恐怖政治であとずさりするような平和勢力はインチキだ。大衆の力を確信できないわけだ。そんなことをしていたら、第二次大戦と同じかそれ以上の惨禍を被ることになる。
 この長崎事件にさいしては、この真相を暴くとともに、戦争に導く勢力に対して、平和と民主主義を求める力を圧倒的に強めることだ。