NHK『セ‐フティネット・クライシス』 - 吉川洋は政策の舵を切るか
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昨夜(5/11)放送されたNHKスペシャルの『セーフティネット・クライシス』は内容の濃い番組だった。年末の『ワーキングプアV』の報道視角を延長させた形で、今回は具体的に政策担当者をスタジオに呼んで問題を議論させていた。政府の社会保障国民会議の座長を務めている吉川洋をその場に座らせ、生々しい現実を映像で見せ、批判者である金子勝と討論させた企画は秀逸で、実際にこの番組を契機に政策が変わるかどうかは分からないが、視聴者である国民や弱者に多少の希望の光を感じさせた中身になっていた。同席していた経済同友会社会保障改革委員会委員長の門脇英晴も、同じ同友会の宮内義彦や奥村禮子とは異なる印象を見せていた。単純な新自由主義のイデオローグではないように見える。こういう番組を制作できるNHKはやはり素晴らしい。民放ではこのような番組は作れない。『ワーキングプア』以来のNHKの報道は国民の声を代弁して政治の空気を変えることに寄与している。

健康保険証を失って病院に行けず、病気が手遅れになって死んだ例が幾つか出た。大腸癌で死んだ岡山の52歳の配管工の例が冒頭に出た。病院に担ぎ込まれた後でも、高額の治療費が払えないからと、自分で点滴の針を引き抜いて病院から脱走していた。どんな気分だっただろう。普通に生きてきた人だ。こういう死に方をするとは2年前までは思ってもいなかっただろう。高い健康保険料が払えず、何とか社会保険に入れる正社員の仕事を探している53歳の門真の溶接工の例もあった。「一度落ちたら早いな」と言っていた。2年前までは普通に生活していた人なのだ。健康保険、介護保険、生活保護の三つの社会保障の現状が90分の番組の中で報告されていた。どれも悲痛で、見るのが苦しい映像だったが、それだけ真実を的確に射抜いた報道だったと言うことができる。一番見るのが苦しかったのが生活保護の事例で、病気を患った母親と3人の子供の家庭のケースだった。子供が出てくると本当に辛い。正視できない。

母親は自営業に失敗した夫と離婚、皿洗いの仕事をしながら育ちざかりの3人の子供を育て、2001年に市から生活保護を受けて暮らしていたが、2004年に市が生活保護の支給を停止。高校に入学して、他人のお下がりの制服をもらって高校に通っていた長男は、早々に退学してアルバイトをせざるを得なくなり、中学生の次男は弁当を持って行けないことが理由で不登校となった。今、こういうことが日本中で起きていて、その事実を承知してはいるけれど、生の映像で目の前で見せつけられたらやはり身悶えして心が痛い。二人の男の子を見るのが辛かった。2004年というのは、小泉構造改革が社会保障の聖域に手をつけて、生活保護予算を削減し、厚生労働省が自治体に「生活保護の見直し」と「適正な実施」を指示した年だった。番組でも触れられていたが、厚生労働省がネット上に残している資料を見ても、2004年に何が起きたのか分かる。市の担当者は病気で働けない母親に何度も電話をかけ、早く仕事を見つけて就けと冷酷な催促を繰り返していた。これは虐待だ。

テレビの画面に各国の社会保障費のGDPに占める割合とその支出構成の中身を示した積み上げ棒グラフが出て、スウェーデン、フランス、ドイツ、英国、日本、米国の先進六ヵ国が比較され、特に母子家庭に対する給付額が注目され、吉川洋の口から、「フランス並みにすると6兆円増えるが、2兆円くらいは増やしたい」という言葉が出た。6月の骨太と8月のシーリングに反映されるだろう。金子勝が、「(吉川洋が)今日の発言で大きく舵を切った」と評価して喜んでいた。吉川洋は2001年から2006年まで小泉内閣の経済財政諮問会議の民間議員を勤めた人間である。小泉構造改革の理論的中枢にあり、それを経済学者として支えてきたイデオローグである。霞ヶ関の官僚たちを小泉改革に靡かせたのは、慶應大学で突出した新自由主義者の竹中平蔵のアジテーションではなく、官僚たちの故郷の東京大学の権威である吉川洋の理論経済学の説得だった。小泉構造改革に果たした吉川洋の影響と功績は絶大で、われわれの立場からすればまさにA級戦犯と言える。「給付と負担のバランス」や「持続可能な制度」論は吉川洋が開発した改革の言説ではないか。

吉川洋は2003年に岩波書店から『構造改革と日本経済』を出している。単位を取るのは上手だが難しい経済理論はよく分からない霞ヶ関の官僚たちは、吉川洋の改革理論が岩波書店がオーソライズしたものであることを知り、安心して新自由主義の改革路線を受け入れたのだろう。岩波ブランドが官僚たちに与える影響は絶大で、それは権威と信頼と帰依のシンボルである。岩波書店の責任は重いと私は思う。小泉構造改革を正当化するような理論書を岩波書店は出版すべきではなかった。山口二郎の『政治改革』に次ぐ第二の失敗と錯誤と言える。最近、岩波(iwanami.co.jo)からブログにアクセスが届くようになった。編集部だろうか。政治改革に棹差し、構造改革に棹差し、日本を政治反動と経済格差に導いた責任をどう考えているのか、弁明できるのか、私にメールを返して欲しい。この国において、本来は反動的で反国民的な実質の政策が、マスコミの演出によって国民的で必然的な政策の外装を纏うときは、必ずそこに左側の論者や機関が介在して左側から国民を説得している。立ち回り屋がいる。

テレビを見ながら、『ワーキングプアV』のときとは違う別の感慨もこみ上げた。それは、NHKがこれだけ頑張っているのに、インターネットはなぜ何もできないのかという痛憤だった。なぜネットは運動を起こせないのか。社会保障を削減させず拡充させる政策を実現しようとすれば、セーフティネット主義の政策を掲げる政党を立ち上げて、次の選挙で国会の過半数の議席を占めればいい。簡単なことだ。そうした運動を興せるネットという政治装置も持っている。郵政選挙から二年半も経つのに、一向にそうした動きが出て来ないのはなぜなのか。志(こころざし)の高い人間はどうして出現しないのだろう。そしてそれ以上に、社会科学の研究者の中から日本の社会保障を守るために颯爽と立ち上がって指導者となる人間はなぜ出て来ないのか。どうしてマルクスになろうとする人間が現れないのか。体ごと新自由主義にぶつかって行く闘士が出ないのか。そのことが不思議でならない。国民が不幸になる状況を静観して合理化している人間ばかりだ。それはこうであれはこうでこれはあれでと現代思想のクズ言葉で脱構築ごっこして終わりだ。

脱構築ごっこは要らない。個人の趣味のBLOG日記も要らない。現実を変えるのだ。国の予算と法律を国会で変えるのだ。大事なことは現実を変えることで、現実を変革する組織に結集することで、そのためにネットを使うことだ。必要なのは、高い志と血判で団結した鉄の組織だ。理想を掲げて組織を引っ張る指導者だ。番組の中には多くの人間の嘆きと涙があった。介護保険の給付を削減され、週3日1日3時間だった介護サービスを1日1.5時間に縮減され、買い物に行きながら右半身のリハビリをしてしていた72歳の女性がそれをできなくなった嘆きの涙があった。釧路の母子家庭の母親が、高校進学した娘の入学金の金がなく、市役所に相談に来て机に伏して体を震わせる場面があった。嘆きと涙がある。『反貧困フェスタ2008』へ行ったときに、グッズを売っていたところでボランティアの人と二人でのみ込んだ嘆きと涙がある。この嘆きと涙を終わらせたい。総選挙の投票結果が出た時点で終わらせたい。あと1年と4ヶ月後には、嘆きと涙が地上からなくなるようにしたい。2200億円の予算など簡単に出せるはずだ。「持続可能な制度」の言説には嘘がある。

特殊法人や防衛費の予算浪費の無視があり、財政再建に回せる国家原資(ガス田と米国債)の無視がある。