大田弘子の「成長戦略」と改革プロパガンダ- 国益毀損の責任発言
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昨日(1/18)は大田弘子の一日だった。大活躍した。午前、関係閣僚会議に1月の月例経済報告を提出して政府の景気判断を示し、これが新聞記事になって大きく報道された。その足で外国人記者クラブで記者会見して、このニュースが国内外に配信された。午後、衆参両院で通常国会冒頭の経済演説に責任閣僚として立ち、「日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と言い、この言葉が夕方から夜の日本中の全てのテレビのニュースで報じられた。さらに最後に、テレビ朝日の報道ステーションに生出演し、古舘伊知郎を相手に「成長戦略」の持論を滔々と展開、視聴者に向かって「改革」の継続を熱く訴えた。私は、ネットで配信記事を見ながら、「経済は一流ではない」の発言は大きな波紋を呼ぶだろうと思ったが、まさか同日の報道ステーションに生身の大田弘子が出て来るとは思わなかった。

さすがに電通である。打つ手が素早い。大田弘子のスタジオ生出演は、どの時点で決まったのだろう。古舘伊知郎の質問を聞いていると、周到な準備が窺えて、とてもその日に急遽決まった企画とは思えない。大臣のスケジュールをその日に簡単に取れるとも思えない。これは改革派が仕組んだプログラムだ。(当世ネットで流行の陰謀論ではないが)電通と朝日新聞とが裏で手を握っている。国会初日を大田弘子デーにする。「成長戦略」の話題で埋める。それは福田首相の施政方針演説のメッセージから国民の目を逸らすためだ。福田首相の施政方針演説から国民の関心を奪い、構造改革と成長戦略のプロパガンダを刷り込むため、大田弘子にショッキングな「経済は一流ではない」のフレーズを言わせたのである。全ては戦略的で、テレビを巧妙に政治の道具に使っている。電通の世論操作技術に衰えは見られない。

なぜ、福田首相の施政方針演説をテレビの報道から消す必要があったのか。それは、今日の朝日新聞の社説にも書いてあるが、この演説の中には「構造改革」という言葉が一回も出て来ないからである。小泉改革からの離脱方向が福田内閣の施政方針として鮮明になっているのだ。本来ならば、この日の報道ステーションでは、その問題がニュースの注目点として取り上げられ、古舘伊知郎と鳥越俊太郎との間で話題にされ、番組の視聴者に政治の流れの大きな変化として伝えられていたはずだった。それを改革派(竹中と朝日と電通)が強引に遮ったのである。改革派(特に竹中平蔵)はこういう謀略的な政治をする性向がある。われわれは、そのことを小泉政権時代から見てきてよく知っている。臭いを嗅ぎとることができる。改革派が必死で福田政権の「改革離れ」を阻止しようとして、世論工作に躍起になっているのが手に取るようにわかる。

だが、生放送の発言を聞いていてわかるとおり、大田弘子の「成長戦略」には全く具体的な中身はなく、単に構造改革の延長線の話を抽象的に示しているだけでしかないことは、言葉を注意して聞けばすぐに理解できた。大田弘子が言っている成長戦略の中身とは、@世界とつながるオープンな経済システム構築、Aサービス産業の生産性向上、の二点だが、@について古館伊知郎が質問して返って来た答えは、ECA(?)を海外と合わせる云々の意味不明のものであり、モゴモゴと早口で二つ三つ単語を並べたまま逃げていた。Aについても具体論は何もなかったが、要するに規制緩和とグローバル化をさらに進めて、ウォルマートとか巨大な米国の流通資本が日本で銭儲けできるようにするという意味だということは行間から読める。日本のサービス産業は大企業ではなく中小企業が受け持っている。日本の流通サービス業は地域に密着した零細な資本で担われている。

そこでの一人当たりの生産性は、大企業が主体の製造業に比べて高くない。最近の年次改革要望書は見ていないが、念願の金融(生保・損保・郵貯簡保)を手中に収め、次はサービス業を取って行くぞということだろう。弁護士・司法書士・公認会計士・税理士などの資格士業、学校、航空、運輸、放送。日本政府の規制を外させ、米資で乗っ取って儲かる領域はまだまだある。大田弘子の「成長戦略」に説得的な中身がないことは、視聴者も薄々感じ取ったとは思うが、日本経済に活力と成長が必要で、そのための思い切った経済政策が必要だということは、国民各層で共通認識になりつつあり、福田政権がそれに応えていないという認識も共通なものになっている。大田弘子は内閣の中にあって福田首相に対する造反者であり、改革から後退している福田首相を非難するように世論に直接訴えているのである。大田弘子の上司は福田首相ではなく竹中平蔵なのだ。だから福田内閣の支持を落とすように行動しているのである。

古舘伊知郎の質問の中には、視聴者が納得して聞ける部分もあった。それは、予算の無駄使いに切り込んだ部分で、本来、経済財政諮問会議は、省庁タテ割で固まった硬直予算編成を打破するために設置されたはずではなかったかという質問が発せられた。それに対して大田弘子は、下手糞な官僚答弁の舌を回し、「今やっているところだ」とか、「これからやらなければならない」などと薄笑いを浮かべて逃げていた。特殊法人整理や特別会計の情報開示についても同様だった。経済財政担当相がやらなければならない本来の行財政改革の課題を大田弘子は何もやっていない。それは竹中平蔵のときから同じで、橋本政権の行革の際に掲げられた課題を何もやらず、放ったらかしたまま、やっていたのは米資のための規制緩和と金融売却と、すなわち格差拡大のための一連の改革政策ばかりだった。古舘伊知郎は、財政再建のために消費税を上げる前に無駄な支出のカットが先だと言い、整備新幹線の凍結はどうだと水を向けた。

正論だ。ブログでも二年前に書いたが、橋本政権のときは九州も北陸も東北も整備新幹線の工事は全面ストップされていた。それが小渕政権から森政権に連れてズルズルと緩和再開され、小泉政権では史上空前の借金財政を膨らませながら、全国で新幹線や空港や港湾の大型土建工事を着工させていた。構造改革だの財政再建だの言いながら、財政赤字を無理に膨らませる予算と行政を執行して、その結果の巨額財政赤字で国民を脅迫して、社会保障削減と消費税増税を迫るのが改革派の手口だった。大田弘子はそこでも逃げていた。真面目に答えればボロが出る。「成長戦略」と「改革継続」のプロパガンダだけが仕事だから、後のことは頬かむりして、辻褄の合わなくなる話からは逃げるのである。大田弘子の様子を見ていて、午後の経済演説も含めて、これは自分の意思でやっているのではくて、上司の竹中平蔵に言われて任務でやっていることは明瞭だった。改革新党が立ち上がったときは、その名簿の中に幹部の一人として入るのだろう。

誰でも感じていることだが、大田弘子の口調や表現は、本当に竹中平蔵の説明の仕方と酷似している。あれほど完璧にコピーできるのかと思うほど、言い回しや抑揚や反応の仕方がよく似ている。以前に、二年半ほど前、ブログで小泉純一郎と小池百合子の関係を疑ったことがあるが、あのときと同じあらぬ想像を抱いてしまうほど、竹中平蔵と大田弘子の喋り方はよく似ている。四六時中一緒にいるのでなければ、あそこまでクローンにはなれないだろう、と、そう思えてしまう。昨夜の報道ステーションの中でも若干触れられていたが、どうやら、大田弘子のあの「日本の経済は一流ではない」の演説文言は、福田首相や町村信孝のオーソライズを経たものではなく、意表を衝いたスタンドプレーだった可能性が高い。大田弘子は、現在の福田首相の「国民生活」中心の路線を「内向き」だと批判するのだが、大きく見た場合、むしろ大田弘子の発言の方が内向きな目的と性格のものではないか。この国会冒頭の閣僚演説は世界に向けて情報発信されるものである。

日本政府の経済閣僚が、「日本はすでに経済は一流ではない」と認めたというニュースは、世界経済の中でどのように受け止められるだろう。影響は決して小さくない。ただでさえ、現在の日本は経済面で外から評価が芳しくなく、その経済力の低下が言われているときである。日本株売りに拍車をかける根拠になったり、日本国債の格付低下の理由にされたり、そういう材料として利用されるということは十分に考えられる。だから、責任ある閣僚は不用意な発言はできない。たとえそれが経済学的観点から妥当な見解であっても、客観的に国益を損なうような恐れのある発言は閣僚の立場からは発せられない。それが職務に対する責任のあり方というものだ。大田弘子が、上の発言を外での影響を考えた上で意図的にやったとしたら、これは責任閣僚として重大な国益棄損行為であり、過失であったとしても責任は免れないはずだ。少なくとも、ここまで重大な発言を重大な場で行うのなら、政府の最高責任者である福田首相と相談した上で、文言内容の裁可を受けるべきであっただろう。

国会本会議場の雛壇に座っていた福田首相は、何やら不意を衝かれて呆然とした表情だった。この発言の責任は誰がとるのか。大田弘子の発言は、表面だけ見れば、日本の将来のためを思った憂国の直言のように聞こえる。だが、実際はそうではない。違う。この発言は、日本人の愛国者が日本国のために発したものではない。米国の代理人が米国の利益のために日本政府に放ったものである。もっと規制緩和で自由化せよ、サービス業もグローバル化せよ、構造改革を停滞させるな。これは米国のメッセージだ。売国閣僚と呼ばれても仕方がない。

by thessalonike4 | 2008-01-19 23:30 | 福田政権・2008年総選挙 | Trackback(1) | Comments(2)
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Tracked from 山崎製パン、キン肉マン肉.. at 2008-02-06 15:52
タイトル : 古舘伊知郎
古舘伊知郎に関して報道ステーションをほぼ毎日見ている私ですが、キャスターの古舘伊知郎の口癖が気になります。自分がコメントする時にいつも「私なんかは?思っちゃいます」とか「私なんか」と自分を少し卑下したような言い回しをします。ちょっとうっとおしい・・. ...(......more
Commented by ななし at 2008-01-20 00:05 x
彼らの指南役はテレ東WBSのコメンテーターであり、サブプラ問題では独り勝ちした感のあるあのモルガン・スタンレーのチーフエコノミストでもあるフェルドマンですよ。
おそらく米国流のディベート術を仕込まれたんでしょう。
竹中平蔵も太田弘子も米国帰りですしね。
論点ずらしや質問に質問を返すやり方はそっくりです。
詭弁の達人と言うところでしょうか。
だけどそんな奴らに騙される有権者も有権者なんだよな・・・
彼らの正体ですが米国の工作員で間違いないでしょう。
彼らだけじゃなくって一部官僚もマスコミも日銀幹部もそうでしょう。
今や売国ほど儲かる商売は他に無いですからねw
外資系だと天下りしてもマスコミはなぜか完全にスルーしてくれますしw
思うに在日米軍は日本で無く、彼らを守ってるんですねw


元エコノミック・ヒットマン 語る
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/m/200801
Commented by banzai at 2008-01-21 22:54 x
株価の下落を見て、「構造改革を停滞させず加速させろという市場メッセージが発せられている」との常套句は株屋の科白ではあって、一国経済に責任を負う「行政格」の人間が言うことではない。
地球上の任意のポイント間を光速移動する資金の運動は、量子力学と同じ確率論的記述にしかならず、その増幅パフォーマンスのとりまとめとコントロールを一元的に把握コントロール出来るのは、一国経済を1つの因子としか扱わない無国籍の線型計画マシンだろう。
国家は「市場」の下僕としていよいよ成り下がるのか、政府をあくまで生身の国民の声を聞く機関として当然の生命力を発揮させるのか。それが問われている。