チベット問題と北朝鮮拉致問題 - 6年前の辺見庸のマスコミ批判

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拉致事件についてのまさに怒涛のような報道は、その量の夥しさと裏腹に記事の質がなぜか均一で、ナショナルな情報のみをしきりに煽るという、この国独特のパック・ジャーナリズムの病理を、またもやいやというほど見せつけている。パック・ジャーナリズムとは(中略)記者らがウンカよろしく一群(パック)となってニュース源におしかけ、同一歩調かつ横一線で取材し、どれも大差ない記事、番組をこれでもかこれでもかと流しつづけることである。これは戦前、戦中からひきつづく日本マスコミの「得意技」ではあるのだが、(中略)拉致事件に関するパック・ジャーナリズムの弊害はかつてなく深刻だ。なによりも拉致事件報道は総じて一元的で、多分に感情的であり、いずれも深い歴史的観点に欠ける。いや、情緒的である分だけ、深い歴史的観点をもちだすこと、すなわち異論をさしはさむのを許さない危険な雰囲気を醸しているのである。      (『いま、抗暴のときに』  P.123)


これは6年前の2002年に書かれた文章で、北朝鮮拉致問題が起きた直後に辺見庸が発した言葉である。私は、2ヶ月前のチベット暴動から始まって現在まで続いている一連の中国叩きの報道が、当時の北朝鮮拉致問題とそっくり同じ構図と性格を持った同質の「プロパガンダ問題」であると直観して、その懸念や憂鬱から容易に離れられない。北朝鮮拉致問題の政治は延々と続いた。翌年も翌々年もワイドショーは毎日そればかりで、例の「喜び組」の映像は一体何百回民放の報道番組で放送されたか分からない。現在でも火勢は弱まったが依然として続いている。辺見庸の上の文章の「拉致事件」を「チベット問題」に置き換えれば、現在の日本における中国報道が何なのか見えてくる。チベット問題の報道の中で「専門家」として「解説」を与えるのは、勝谷誠彦や青山繁晴や宮崎哲弥といったマスコミ右翼であり、中国の側は「反論」の立場に「被告人」のようにして在留中国人が立たされ、一方的な非難と恫喝を受け、弁明さえ怒号で遮られて十分に許されないという「討論」を強いられた。

日本の報道番組では、中国側は最初から「加害者」の「刑事被告人」であり、チベットの立場で中国側に罵声を浴びせるマスコミ右翼は「正義の検事」で、最初から善悪の配役が決められていた。日本人評論家の中で「チベットの独立など一度も国際社会が承認した事実はない」という正確な歴史認識を提示した者は一人もなく、「チベットは独立国だった」という誤った歴史認識を日本国内で既成事実にしてしまった。中国とチベットの現代史を研究している日本の研究者が民放の番組に出演して解説したことは一度もなかった。今、あらためて読み返しても、辺見庸の北朝鮮拉致問題に関する発言は勇気あるもので、政治認識としてもマスコミ論としても当を得た指摘であることは疑いない。この問題でマスコミの怒涛の右翼イデオロギー報道に流されず、正論に立っていたのは、辺見庸と井筒和幸の二人くらいではないか。だがそれでも、まだこの当時は、「NEWS23」には筑紫哲也が健在で、佐古忠彦と草野満代が腋を固めていたし、テレビ朝日のキャスターは久米宏だった。現在ほど酷くなかった。

この国は、戦後はじめて、北朝鮮という自国にとって便利な「敵」を見つけた、というか、こしらえたのですね。北朝鮮憎しというナショナルな義憤が盛り上がれば盛り上がるほど、政治力学的には朝鮮半島への日本の歴史的な国家責任を忘却のかなたに追いやることができるし、厳然たる歴史的諸事実そのものさえ「新しい歴史教科書をつくる会」や三浦朱門らのように修正してしまうことが可能な空気ができている。一方で言説の世界はこのつくられた「全国民的敵」の幻想に手もなくやられ、ナショナルな義憤がこの国の一層の武装化路線に巧妙に回収されていく経緯にろくに抵抗もできないでいる。(中略) 99年前後からこの国の野党もいわゆる知識人も本質的敵の性格と所在を見失っている。あるいはそれを故意に見ないようにしているのではないでしょうか。(中略) それ自体メディア化する権力、権力化するマスメディア。両者は渾然一体となり、境目さえ見えない。         (同  P.203-204)

私も同じ思いを持つのである。あのとき、戦後日本が初めて外国を敵として冷戦状態に入った。国内の言論報道が準戦時の環境となり、戦争をする国の社会というものがどのような環境なのか、肌身で実感するところとなった。北朝鮮を少しでも擁護したり支持したりする言論は、敵性行為として最初から排除されるのである。マスコミで商売している評論家たちは北朝鮮非難できれいに整列して、「喜び組」や「美女軍団」の映像に何度も同じコメントを発していた。「これが戦時か」と生まれて初めて思った。冷戦が始まったのだ。それまで冷戦は教科書の中の出来事だった。戦後世界史の大きな枠の中では、日本も日米同盟を結んだ自由主義陣営の一員で、米ソ対立の緊張の渦中にいたはずだが、それは教科書の中の話だった。日本は韓国とは違っていたのである。何が違っていたのか。国内に大きな社会主義勢力の存在があり、それは野党第一党で、選挙になったら自民党と議席を争っていた。その社会主義勢力は、東西冷戦で厳しく対決する二勢力の国内におけるクッションの役目を果たしていた。

中選挙区時代の田舎の選挙戦を思い出すと、自民党と社会党が「仲良く喧嘩していた」という印象になる。激しく火花を散らしていたという記憶はない。万年野党に政権への野心は感じられなかった。社会党クッション論。私は、2002年からの北朝鮮との冷戦関係と国内の様変わりを見ながら、嘗ての冷戦時代に日本の国内が冷戦環境にならなかったのは、社会党がクッションだったからという見方をしている。日本の国内が政治的に斉一化されず、全体主義にならず、多様な認識と議論を持つことが許され、そして両者は対立する理念と政策で国民の支持を奪う競争を演じていた。国内に相似形の東西冷戦がマイルドな性格で構造化されていたため、外側の東西冷戦の中に日本が置かれても、内側は厳しい緊張を強いられることがなかった。クッションで緊張が緩和された。軍事政権下の韓国はクッションのない厳しい緊張が国内を支配した。21世紀に入り、日本の中にクッションがなくなり、多様性は排除され、右翼国家主義で一列に整列を強いられるイデオロギー環境になった。教科書の中の話だった冷戦が現実のものとなり、有事三法が簡単に整備され、戦争はほどなく始まるものになった。

9.11は米国に異様な愛国主義をもたらした。拉致事件の真相の一端が明らかにされた2002年の9・17も程度の差こそあれ、奇妙なナショナル・アイデンティティを強いる空気を一気に醸した。9・11と9・17の共通項とはなにか。(中略)まず、あまりに一方的な被害者意識。加害者としての歴史の忘却。自国中心主義。「敵」の創出。(中略) 憎悪の増幅。情緒が論理をなぎ倒すことの社会的容認。マスコミの迎合、翼賛化。(中略) 拉致問題に関して、まっとうな発言をする人は少ない。(中略) 一方で、当然の歴史的観点を表現しただけで、北朝鮮寄りだとか利敵行為だとかいわれて右翼から脅される状況にいまはなっている。朝鮮半島のからむ現代史を正当に書きこむことすら、メディアは怯えてやれなくなっている。というより、北朝鮮への「ナショナルな義憤」に巻き込まれているうちに、権力と手を携えてナショナルな義憤をメディア自らが煽るようになっている。リベラルを標榜してきた論客たちも、ここにきて多くが口をつぐむか発言内容をシフトしつつある。      (同  P.203-202)

今度のチベット問題から始まる中国叩きは、明らかに第二の北朝鮮拉致問題である。あのとき、辺見庸が勇気ある正論を発したように、誰かが言わなくてはいけないのだ。