Coming War With China And Korea - ばらさよ議協国カ六
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中国救援の募金に応じていただいたブログ読者の皆様に心から感謝を申し上げます。 今年の憲法記念日の集会で、湯川れい子が「戦争はあっという間に起きる。平和は平和のうちにしか守れません」という言葉を残している。実際に少女時代に戦争を体験した人間の偽らざる回顧と証言であり、当時を知る人間も知らない人間も、重く受け止めて考えるべき言葉であるように思われる。多くの者にとってそれはあっと言う間に起きたのだろう。私は、ブログを通じて中国と日本の戦争の始まりを危惧し、その状況への進行に対する注意と警戒を音量を上げて発し続けているけれど、その言葉をリアリティを伴って受け止めてくれる人間はきわめて少ない。いわゆる「護憲派」と称して毎日ネットの中で「9条」を連呼している一群の者たちがいるが、彼らにも日本と中国の戦争の警鐘は全く絵空事の妄想話のようであり、意識の埒外にある想定であるらしい。

一昨年の秋、日本海での北朝鮮船舶の「臨検」が問題になった頃が、北朝鮮との戦争の危機が最も高まった瞬間だった。幸いにして、米国の東アジア外交の操縦桿はライスとヒルの手中にあり、ラムズフェルドとアーミテージはホワイトハウスの権力から外れていたため、六カ国協議の枠組みが生きて「紛争」の勃発は回避された。六カ国協議という枠組みができて、韓国と中国が常に体を張って日米と北朝鮮との間に入って戦争の危機を回避していた。小泉政権から安倍政権にかけて、もし六カ国協議のスキームがなく、北朝鮮と日本の暴走を止める歯止めがなかったらと想像すると戦慄する思いになる。日朝間の平和はギリギリのところで維持されてきた。そうした繊細な想像力を持てるかどうかが、湯川れい子の言葉を本当に(単に字面ではなく)理解できるかどうかの問題だろう。9条をペットのように愛玩して群れ合っているだけの護憲派の平和ボケを感じる。

中国との戦争については実感を持てない人間も、北朝鮮との「紛争」については将来の勃発の可能性を全く想定できないわけではないだろう。そこから少しだけ想像力の羽を広げて欲しいが、北朝鮮と日本との間で武力衝突が起きたときは、それは必ず韓国と日本との戦争に発展する。自衛隊による作戦行動が北朝鮮の領海や領空に及び、戦況が自衛隊の思惑どおりに運ぶ事態(北朝鮮軍の無力化)となったとき、韓国国内で義勇兵が蹶起して「韓半島防衛」の武力行動に動く。韓国軍を対日防衛の軍事出動へと促し、軍内部から共鳴して動く士官や兵卒が多数出て、参謀本部を引き摺り、大統領官邸は決断を迫られる事態になるだろう。国民の世論は「対日防衛」で一致結束、対日防衛と北韓解放の一挙両得をめざして民間が「韓半島防衛軍」の兵站と兵力を補給支援する。日本が北朝鮮との「紛争状態」に入るということは、韓国を戦争に巻き込むということであり、自衛隊と韓国軍の衝突の事態は避けられなくなる。中国も米国も制止できない。日本の国内は右翼がマスコミで対韓戦争を煽る。

中国との戦争は、北朝鮮との「紛争」の延長線上に発生する可能性もあるが、それ以上に考えられるのは台湾問題で、例えば、日本の右翼が民進党と台湾軍内部の急進独立派を炊きつけ、軍事クーデターの謀略を起こす図が考えられる。クーデターと同時に独立宣言して大陸との戦争状態に入る。戦前より日本の右翼と軍は謀略を好む体質があった。謀略と奇襲に奔る。現在の一般的な想定では、米軍再編によって自衛隊は米軍の一部に編入され、米国がアジア(不安定な弧)で惹き起こす侵略戦争に従軍加担して参戦するというシナリオになっている。それが日本のあり得る「有事」だが、私の想像は少し違った方向に及んでいて、今年の米大統領選を契機に「テロとの戦争」は終焉に向かい、「不安定な弧」も米国の世界戦略の基本線からは外れるだろうと見通している。民主党の大統領が新しく就任する米国は、対アジア外交を一転させ、対中冷戦封じ込め路線を放棄、中国を東アジアのパートナーとして正式に認め、六カ国協議体制の強化を図り、東アジア地域で中国と全面的に協調する政策に出るだろう。

日米韓対中露朝という構図だった六カ国協議は、最初に米中ありきで、米中に韓露が協調し、米中韓露対朝対日という奇形的な三極構造に変わる。日本がプレイヤーから離れて行く。日本の右翼は六カ国協議体制からの離脱を強硬に叫び、日米同盟に頼らない本格的軍備増強を吠え、憲法改正と対韓対中軍事対決路線の鮮明化を政権に求める。麻生太郎、安倍晋三、小池百合子、前原誠司、どれがなってもその路線と親和性が高い。そしてその日が来る。「ばらさよ議協国カ六」。今は六カ国協議の中で北朝鮮が異形で孤立している国だが、その立場に次は日本がなるのではないか。私は、日本が中国と決定的な軍事的対立の局面になったときは、同時に米国との間でも同盟関係が事実上解消されて、日米間が緊張する状況になっているのではないかと漠然と考えている。中国は米国に対して、日本を取るか、中国を取るか、二者択一を迫るだろう。中国と米国の間での冷戦はない。それは米国にとってリスクが大きすぎる。そして両国の間には歴史問題がない。第二次大戦中は同じ連合国であり、戦勝国として国連の常任理事国になった。

ウェーバーは、政治をする者はしつこくなくてはいけないと言っている。再びユネスコ憲章を繰り返すが、「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という言葉を正面から読み、そして2ちゃんねる掲示板に毎日洪水のように書き込まれている中国に対する悪罵と侮辱と挑発の数々を見たとき、われわれは何を思う必要があるのか。2ちゃんねる掲示板は国内最大のネット掲示板であり、そこの書き込み内容は日本を代表する世論だと言われても仕方がない。今の日本は「心の中の平和の砦」が完全に破壊されている状態ではないのか。破壊されていながら、それを破壊されていないと見ないフリをしているのが、今の日本の言論状況ではないのか。マスコミもブログ左翼も。ネットでの中韓への悪罵や中傷は先に日本で90年代から始まったもので、韓国や中国から先に起こった社会現象ではない。今の日本は発狂状態であって、湯川れい子の幼女時代と何も変わらない。このままの状態で戦争にならなければ、ユネスコ憲章の言葉が「考えすぎ」で、単なる「子供向けの道徳警句」ということになる。果たしてそうか。

ついでに取調べについていうならば、「唯物論研究会」の講演会に出席した動機を訊ねられて、私は長谷川如是閑の名前を出して父との長い交友の由来を話そうとした。このときも私の言葉は特高のつぎのような怒号で遮られた。「馬鹿野郎、如是閑なんて奴は戦争でもはじまれば真先に殺される男だ」というのである。子供のときからなじみ深い如是閑の相貌がとっさに目に浮び、ああ、あの如是閑さんが殺されるのか ― という思いとともにスーッと眼前が暗くなった。「殺される」というのは裁判で死刑になることではなく、虐殺を意味していた。現にプロレタリア作家の小林多喜二が築地署で検挙直後に「殺され」た時日は、そのときから遡ることわずかに一ヵ月そこそこであった。国家公務員が平然と「殺す」という言葉を口にできたこと、「国体」を否認する「国賊」は法の正当な手続きなどお構いなしに抹殺して差支えないという考えが、私のようなチンピラ学生を取調べた特高にとっても常識となっていたこと、はやはりこの時代を知るために忘却してはならぬ事実であろう。   (丸山真男集 第15集 P.24)

丸山真男の1989年の『昭和天皇をめぐるきれぎれの回想』の中の一節だが、印象深く、何かのときに念頭に浮かんでくる。国内最大の掲示板である2ちゃんねる掲示板には、「チョン」だとか「チャンコロ」だとかいう言葉が山のようにあり、「死ね」だの「殺せ」は当たり前のように書き連ねられていて、そのように書く基準感覚や通念を持っていない掲示板参加者の方が少ない。掲示板の中では「チョン」や「チャンコロ」の暴言を吐く者は多数であり、だから異常には見られないし、削除の要請すらなく、削除の対象にも全くなっていない。今の中学生や高校生はこういう政治的環境の日常の中で育っている。われわれの中学や高校のときにこのような悪性の公開掲示物があったら、恐らく寸刻も置かず人目に触れないように処理処分され、情報を掲示した人間は厳しく糾弾されただろうし、掲示した人間は職業右翼だと看做されただろう。当時の日本の社会常識ではとても言論の自由の範囲には入らなかった。常識が変わっているのである。われわれの頃は「支那」の表現でも大問題になった。

「支那」は右翼漫画家がマンガで広め、石原慎太郎が10年前に公の場で言い出したときは暴言だったが、マスコミと右翼によって地ならしされ、今ではかつてのような異常感覚は誰も感じていない。この感覚の差は、時代の差であり、結論的に言えば、戦争に対する反省の気分や戦争の兆候に対する危機感と監視の態度の差と言える。当時は、何より戦争体験者たちの世代が「支那」や「チャンコロ」や「チョン」を許さなかった。それは、ユネスコ憲章が言っているとおり、「戦争は人の心の中で生れるものである」事実を彼らが肌身で感じて知っていたからだ。こういう現在の異常な言論思想状況について、しかしアカデミーからは特に問題視する研究や提言はなく、政治学者は2ちゃんねる掲示板を放置している。放置どころか、中には(右翼寄りの研究者は)積極的に利用しているかも知れない。10年前はそれでも、あまりの過激さに苦々しく閉口する空気は微かにあった。今はむしろ、2ちゃんねる掲示板を規制せよなどと言うと、2ちゃんねる言語を身に着けたネット左翼の方が目を怒らせて「言論の自由の侵害だ」と反論するようになった。

侵略戦争は心と言葉から始まる。今のネット左翼はユネスコ憲章を無視し、そして裏切っている。