「ガソリン国会」の無意味 - 国政の争点を決めるのは選挙の民意
1/27(日)のTBS「サンデーモーニング」を見ていたら、司会の関口宏が面白いことを言っていた。「国内の政治の話を一つくらい取り上げようと思ったけれど、取り上げる問題がないんだよね」。この日の番組のトピックスは、@ダボス会議と世界株安の問題、Aハマスがガザとエジプトの間の壁を爆破したパレスチナ問題、Bクリントンとオバマの予備選の問題、の3件だった。暫定税率とガソリン国会の報道が出るかなと思って見ていたが、それは放送の主菜から外されていた。暫定税率問題ではなくパレスチナ問題を取り上げたところが秀逸で、ここは関口宏を褒めなければいけない。かなり時間を割いて紹介と解説をしていた。この事件を取り扱った報道番組としては、日本の地上局のニュースの中で最も内容の濃いものだっただろう。国境の町の商店街のエジプト人の声も映像に入っていた。スタッフと関口宏と橋谷能理子が相談して番組の献立を決めているのだと思うが、今回の企画と構成に拍手を送りたい。

ガソリン国会など、本当のところは全く意味のない政治だ。確か、番組の後半、一週間のニュースを追いかける場面でガソリン国会の話題が出たときも、関口宏が、「他に大事な問題がたくさんあるのに」という意味のことを言っていた。全く同感だ。この問題は、民主党と自民党が他の重要な問題から国民の視線と関心をマスクするために、撒き餌として意図的に与えている「政治問題」である。ネットの中には、田原総一朗の世論操作に踊らされたのか、それとも小泉改革時代の猪瀬直樹の洗脳教育が尾を引いているのか、道路の問題こそが日本の政治における最重要の問題で、この問題を暴くことが「政官業の癒着の構造」を切り崩す突破口になると声を張り上げている者もいる。これだけ無駄な道路を作っていると例を挙げている者もいる。無駄な道路を作っているのは事実だ。だが、暫定税率を年度末で廃止すれば、そこで何も手当をしなかった場合は、自民党や公明党の言うように自動的に歳入に穴が空く

中日新聞の記事で福井県の予算事例が紹介されていたが、福井県の場合、2006年度に78億円だった市町村の道路特定財源関係の歳入が36億円に減少する。この歳入は生活道路や通学路整備や除雪計画のために予算化されているもので、それが半分に減らされれば、市町村は大きな打撃を蒙ることになる。道路特定財源や揮発油税は、確かに「癒着の構造」そのものであるけれど、その一面だけでなく、一部は地域の生活道路の整備事業を賄い、したがって、地域の土建業者にとっての仕事となり、疲弊した地域経済が微かに回る潤滑油にもなっているのである。民主党は、暫定税率廃止によって不足となる2兆6千億円のうちの地方税収分9千億円について、国が直轄で実施する公共事業の支出の約三分の一を地方自治体が負担しているから、その地方負担分を法律改正によってゼロにすれば問題ないと言っている。だが、そうすると、国直轄の公共事業を中止するか、他から財源を9千億円分持って来る必要がある。

多数の国民から支持されて正論のはずの民主党の暫定税率廃止策が、自公両党から批判を受け、テレビ討論で論戦になるのは、民主党がこの国直轄事業(地方負担約1兆円・国負担約2兆円)の処理について、具体的に積み上げを提出してないからである。民主党の直嶋正行は、具体的な財源案(国直轄事業廃止案)を出すと言っているが、本当に速やかに出て来るのだろうか。この問題は出来レースで、自民党も公明党も、最初から3月末までには妥協するつもりなのだが、世論を前にポーズとしては自らの正当性の主張を崩していない。それには理由があって、要するに若干の自信があるのだ。国直轄の公共事業を一年間で3兆円(国2兆・地方1兆)規模削減しようとすると、具体的に現在工事中の公共事業を特定する必要がある。それは地方の利害に関わる。選挙にも少なくない影響がある。だから、リストを出せと自公に言われると逡巡するのだ。選挙に影響のない共産や社民は「政官業の癒着」批判の一般論を自由に言える。

そうなると、これは誰が見ても最初から落としどころが見えていて、自民と民主の政策担当者が鉛筆舐め舐めして、「国直轄の公共事業」の中で互いの選挙に影響の出ないものを削るしかない。阿吽の呼吸。新テロ特措法案は米国に約束した手前もあり、また成立か不成立かの二者択一のデジタルな性格の政治争点だったが、今度の暫定税率の問題は、税率という言葉が示すとおり、数字の問題であり、すなわちアナログ的性格の政治争点である。国際公約でも何でもなく、外から注目する人間はいない。簡単に妥協ができる。妥協の中身と国民に向けての口実だけが真の政治の問題だ。自公政権は国交省の10年68兆円の中期計画を、猪瀬直樹のときと同じように、再び公式撤回するだろう。何度でも公式撤回し、何度でも平気で、国民が忘れた頃に復活させる。官僚の面の皮は厚い。報道を見ていると、民主党は鳴り物入りで始めた「ガソリン値下げ隊」の街頭キャンペーンを早々に終息させて撤収させた。裏で「着地点」が見えてきたということだろう。

新聞の論調も、概ね自民と民主で妥協しろというものだ。地方紙を見ているが、社説で暫定税率を取り上げている新聞社が少ない。神戸新聞の1/24の社説は「政争の具になっては困る」と題したもので、現時点での見方として当を得た主張と言えるだろう。「ガソリン国会で何で悪い」と声高にガソリン税争点の意義を強調する議論と、関口宏のように、週末の報道番組で敢えて取り上げなかった対応と、果たしてどちらが政治を見る目として状況を正しく捉えていると言えるだろう。本来、国会で論議の争点とすべき政治課題は、政党が決めるのではなく民意が決めるものである。民意は何を課題として国会に求めたか。国会に解決を求めた問題は何だったか。それは昨年の参院選の際に明確にされている。民意は国会に年金問題の解決を求めた。民意は国会に格差拡大の是正を求めた。これは誰も否定することができない。国会議員は国民代表である以上、選挙公約を守らねばならず、民意の実現のために国会活動を行わなければならない。年金と格差を今国会の争点に据えることこそが、民主党が民意に従って行動するということだ。

われわれ自身が政治家に年金と格差の問題の解明と解決を要求した事実を忘れてはいけない。格差も年金も何も解決されておらず、国会で議論は全く深まっていない。われわれ国民が自分の民意を忘れたら、一体誰がその民意を思い出してくれるのか。世論操作が仕事のマスコミは、周到に「民意」をズラし、表面から隠し、それを忘却させて行く。選挙のときの国民の怒りや憤りを忘れさせ、別の餌を撒き与え、巧妙な手法で国民の関心を逸らして行く。選挙のときの争点ではなかった「争点」を持ち出して、これこそ真の争点なのだと国民を騙して説得して行く。ガソリン税が争点だなどと夏の参院選のときは誰も言ってなかったではないか。民主党が争点として訴えたのは、「生活」の問題であり、訴えて支持を受けた中身は年金と格差の問題だったはずだ。マスコミが世論を操作するのはアドミニとしての仕事だから理解できる。しかし、アドミニでも権力の手先でもない人間が、まるで政党やマスコミの片棒を担ぐように国会の争点を選挙の民意から離すように説いて回るのはどうだろう。政党やマスコミの世論操作が成功するのは、政党やマスコミの方向を自分の方向だと認める声が国民の中から上がるからだ。

今度の国会で、民主党はガソリン税の暫定税率廃止を一方的に争点に据えたが、これは全野党で協議して決定した共同作戦ではない。本来、自公政権を解散に追い込む国会戦略を考えるなら、解散後の選挙協力も想定して、他の野党三党と足並みを揃えて一致した争点で戦うべきだった。少なくとも社民と国新の二党とは共闘して国会論戦の陣地を築くべきだった。そして年金や格差や医療のような争点であれば、全野党が一致結束して国民から支持を受け、与党二党を包囲することができただろう。国政調査権と問責決議案の二刀流で福田政権を追い詰め、下野必至の解散総選挙へ縺れ込ませる現実的な展望も持ち得ただろう。ガソリン税では国政調査権もないし問責決議案に行く前に簡単に妥協になる。こんな争点では解散のシナリオはあり得ない。せめて「米軍思いやり予算」の廃止なり減額なりを争点にすれば、岩国市長選に国民の関心を向けることができ、それに勝利すれば一気に解散の世論が沸き起こっただろう。民主党がそれを簡単にできる党ではないことは分かっている。だが、それを求めるのが国民の立場の議論ではないのか。小沢一郎が言い出した「ガソリン税争点」に乗って、昔の猪瀬直樹の「政官業の癒着」論を繰り返すのが国民の議論なのか。

争点は後から誰かに与えられるものではない。自分たちが最初から持って意思表示しているものだ。政党やマスコミの誘導操作に身を預けてはいけない。