厚生労働省元事務次官テロに続いて、全てのフリーターはテロに向かって激走する


拙稿「今後、中国を支配する者達の正体」参照。

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書物短評 :  ヴィクトル・I・ストイキツァ 「ピュグマリオン効果」 ありな書房




 ギリシア神話に出て来るピュグマリオン。現実に存在する生身の人間の女性に「背を向け」、自分の作った彫像の女性に「惚れ込み」、彫像と共に部屋に引きこもり、像に話しかけ、寝食を共にし、遂には神に頼み込み、彫像を生きた人間の女性にしてもらい、自分の妻にするピュグマリオン。男性の思い通りの理想の女性を教育によって作り出そうとする映画「マイ・フェア・レディ」の原型にもなった、この神話は、倒産したブッシュ大統領=ロックフェラーの銀行リーマン・ブラザースに「ついての」神話である。

この神話の女性を通貨に置換すると、現実に存在する自動車、農産物といった生身の実物経済の取引きを「仲介」する事に背を向け、通貨「そのもの」に惚れ込み、遂には現実世界とは関係の無いディーリングルーム(部屋)に引きこもり、「通貨が通貨を産むデリバティヴの世界の住人となり」、「通貨を自分の妻」とするロックフェラー・ロスチャイルドの姿となる。

 人類が憑依されてきた「金儲け」、通貨への執着の物語がピュグマリオン神話である。

 塩、砂糖、麦といった生活物資の「交換を仲介する」便利な手段として発生した通貨は、必然的に「その地域で誰もが欲しがる商品」が通貨の役割を担い、やがて、それは誰もが欲しがる金塊・金貨へと「統一」されて行く。塩を生産し売り、砂糖を購入したい者は、塩を買いたい人間、砂糖を売りたい人間を、アチコチ歩き回り探さなくて良い。塩を商人に売り金貨1枚を受け取り、商人は塩を別の場所で売り金貨2枚を受け取る。塩を生産し売り金貨を受け取った者は、別の商人から砂糖を買い金貨で支払えば良い。砂糖を売った商人は、別の場所で砂糖を売りたい人間から、金貨2分の1で砂糖を買った。これで商人の生計は成立する。金貨が「誰でも欲しがる物」であるため、こうして「どこでも、どんな商品にでも交換される事が可能になり、便利な」、商品社会が成立した。シルクロードでは、誰でもが欲しがるシルクが通貨となり、欧州では羊が通貨となった。

こうして実体経済の商取引の中から、「融通の効く、誰でもが欲しがる1つの商品」が通貨となった、とする商品起源説の通貨論が、しばしば語られる。

 しかしインド=ヨーロッパ語圏の諸言語の語源を詳細に調査した膨大な辞書でもある、鬼才言語学者エミール・パンヴェニストの「インド=ヨーロッパ諸制度語彙集」(言叢社)を、最初から最後まで詳細に読むと、羊という言語が徐々に変化し通貨という言語に変形していった形跡は全く見られない。通貨が、ある種の1商品の変型・発達によって生み出された、とする経済学の常識が嘘である事が証明される。

 通貨は、ある日、突然、商品とは無関係に通貨として「出現」する。実物経済とは最初から無関係に通貨は発生している。「実物経済と無関係のデリバティヴは通貨の本質」であり、法的にデリバティヴを禁止する事は「便法」として必要であっても、また別の「金が金を産む、金融投機手法が発見され、経済を破壊するまでの」カンフル剤に過ぎない。

デリバティヴ問題が、法的規制で解決すると考える事は、通貨の本質への無知から生み出されて来る。それは、畜産を奨励しながら、肉を食べる事、乳製品を食べる事を法律で禁止するような物でしかない。



 人類は、ある時、自分の家族が死に、嘆き悲しむ中、家族が生きていた昨日と全く同じように、太陽が照り、農作物は成長し、小鳥が飛び交うのを見る。自分が死んでも、世界は昨日と同じように、明日も、明後日も動いて行く。やがて自分が存在し、生きていた事さえ、皆に忘れ去られて行く。それに気付いた時、人間はガクゼンとする。「自分は、この世界とは、無関係」である事を自覚する。

哲学では、これを「疎外」の自覚と言う。この世界とは疎遠で、自分は、この世界の「外」に居る、という事である。

全人類の歴史・数十万年、宇宙の歴史・数百億年の内で、自分が地上に生きているのは数十年。わずかな一瞬である。圧倒的大部分は、自分は「ここには居ない」。「こことは別の場所に居る」。

人類は「こことは別の場所」について考え始める。

死亡し、「こことは別の場所」に行った死者を集め、埋葬する墓所が、「こことは別の場所」の象徴的な場所となる。人間は生まれる前に、どこに居たのか。死後、どこに行くのか。それは実際に死ぬまでは、人間には理解出来ない、「触れることの出来ない=アンタッチャブルな世界」である。

墓所に設けられた寺院・教会の中で、人間は「農作業等の実物経済の世界」から離れ、「こことは別の場所」「死後の世界」について沈思黙考する。農作業の手順、今晩の夕食の調理等、「具体的な物の世界について」考えるのではなく、実物経済とは関係の無い「こことは別の場所」「死後の世界について」、モノとは遊離した観念の世界で「思考だけが、言語だけが自立的に、自己回転して行く」。実物経済とは関係の無い「デリバティヴ取引きのディ−リングルーム」の世界で、「ディスプレイに表示される原油・天然ガスと言った言語、価格を示す数字=言語だけが自立的に、自己回転して行く」。

デリバティヴの発祥が、「どこにあるのか」を、これは良く示している。

高等数学の複雑な数字の操作によって生み出されたデリバティヴは、「死すべき人間」が、死後の世界について考え、「やがて消え去り、忘れ去られる自分の現世での人生の無意味さ、空虚を自覚し、現世の営みの全てを無意味として全否定に至る」、現世全面否定=全面核戦争による全人類絶滅のような、現世と、そこに生きる全人類への怨念・憎悪の想念世界から生み出されて来る。

デリバティヴが経済を破壊し、恐慌を起こし、世界戦争を導き出す「出自の秘密」は、ここにある。

厳密な「科学に見える」高等数学の、数字の操作によって世界全体を支配・コントロールしようとする思考形態の背後には、「全人類に対する憎悪と怨念」が存在する。

これがロスチャイルド=ロックフェラー(ブッシュ)問題の本質、リーマン・ブラザース問題の本質である。



 かつて、農民は毎年、収穫された小麦・コメを、盗難を避けるために、死者を恐れ誰も日常は近づかない「アンタッチャブル」な寺院・教会に蓄積し、貯蔵して来た。死者は、死んで土に還り、自然の一部となって還って行った。豊かな農産物は、その自然が与えてくれた。自然に対し「この農産物は、本来、あなたたちの物です。私達人間が、食し、必要となるまで、あなたたちの場所=墓所・寺院・教会に置いておくのが、本来の在り方です」。こうして死者の「居場所」は、富の集積所・蓄積所となる。同様に、現代の「デリバティヴ取引きのディーリングルーム」には、世界中の富が、そこに集積し、取引されて行く。



 墓所・寺院・教会は「こことは別の場所=あの世」への通用門であり、実際に鳥居のような門が設けられる事もある。この通用門の「こちら」には現世があり、「向こう」には死後・出生前の世界がある。富・農産物も、死者が還って行った「土=自然」の世界=「死後の世界」から与えられた。この通用門には、「この富は全て、そちら=あの世の世界から、いただいた」という意味で、全ての富が集積された。やがて実物の集積の代わりに、1枚の紙の「表」に、様々な農産物・富の絵を描きシンボル化し、その通用門に貼り付けた。

紙幣の発生である。

墓所を訪問し、「こことは別の場所」について思考した人間は、「今、生きている自分の命は、そちら=死後の世界から授かったものです。やがて、私は、そちらに還りますが、今日は、まだ死なず、しばらく現世に留まらせて下さい。」そのように紙幣の「裏」に書き込んだ。同時に、紙幣の「表」には「様々な富の絵が描かれ、この富は、そちら=死後の世界の所有物です」と描かれている。

そして自分が死に、燃やされ、灰となり土に還り、また自然から頂いた農産物・富を消費し排泄物として土に還す代わりに、「自分は、いつか、そちらに還ります」と書いた契約書と、農産物・富の絵を表裏に描いた紙幣・通貨を燃やす。

こうして「死後の世界」について沈思黙考し、その死後の世界に感謝し、この世で得た富を「燃やし尽くし」、生まれた時の裸=無所有に戻り、いつか死後の世界に行く事を約束し、「かりそめの現世に戻ることの謝罪に」、自分の「身代わりの紙幣を火葬=殺害」して、帰宅する。

紙幣は、こうして、いつか死すべき人間が、現世の富、権力、地位の全てが無意味であり、それらへの執着を断ち、自分が死ぬ事を自覚し、自分が何を行うために「この仮の世界」に姿を現したのかを考える「自己を戒める」儀式の道具であった。現世の全ての富・権力・地位を破壊し、自分も自殺し「死後の世界に帰る」、その身代わりとして紙幣を焼き尽くす。死と再生の儀式が紙幣の仕事であった。

 この意味で、通貨は、「こことは別の場所と、現世との間に在る扉」である。現世の人間の命と、富を全て破壊・燃焼させ「灰と化し」、富と生命の全てを蕩尽し消滅、崩壊させ、「あの世に還す」、シンボリックな儀式の道具である。この扉が開かれる時、現世の全ての富と権力・地位、人間の生命が、死後の世界のブラックホールに吸い込まれ破壊され、消え去る。この扉の向こうには、あらゆる宗教の神が、死の扉の開くのを待ち、待機している。通貨、金貨、金塊(ingot インゴット)はインゴット、IN GODである。

 
 寺院・教会・墓所での「自分は、死後どうなるのか」「どこから来て、どこに行くのか」という問い=言語の自己回転の集積は、最終的には「何をやっても、最後は人間は死に、灰燼に帰す」という結論に行き着く。

冷徹に考えれば、必ず、そこに行き着く。

沈思黙考=言語の自己回転の末、田畑を焼き払い、家族を殺害し、自殺する人間が当然、多発する。「全てを灰にし、死の世界に戻る事」が、全ての人間の人生の行き着く「必定の道」であり、こうして「人生に決着を付ける」事が「最も正しい」という結論しか、言語の自己回転からは出て来ない。かつても全てを捨て、放浪の旅に出る者は、無数に居た。現世と人生に見切りをつけ、秋葉原で無差別通り魔殺人を行い、厚生労働省の元事務次官にテロを加え、「この世と、オサラバする」事が、「死すべき人間としての自己を冷徹に見据えた」人間が辿り着く、全ては灰と化す現世への「全面否定」行為としては最も「正しく」、正直である。

このデモーニッシュ(悪魔的)な、全否定の衝動は、腐敗した政治権力を全否定する革命のエネルギーともなり、現在使用している技術体系の全否定となり、技術革命への知的衝動にも転換する。しかし使い方を間違えると、アドルフ・ヒトラーのような人類大虐殺へと至る。適切なエンジンシステムが存在すれば、クリーンな燃料となる水素ガスが、大気中で単に引火すれば、大爆発を起こし人間を大量に爆死させる事になる。

 様々な宗教には、この「全てを灰と化し、死に至らせるデモーニッシュなパワー」を、現世で生きる意味等についての膨大な思考によって誘導し、「有効に活用するエンジンシステム」が内在させられて来た。そこでは、言語の自己回転を「死の方向から逸らす」誘導が行われ、「クッション」が設定されている。「死の儀式の後には、再生の儀式が内在している」。

デリバティヴのディーリングルームでの言語の自己回転は「投資と配当」「利益と損失」の単純思考であり、言語の自己回転を「死の方向から逸らす」誘導装置は存在しない。ストレートに壊滅が現れる。

 通貨とは、地上の全ての富と人間の生命を破壊し、「死後の世界へと扉を開く」ために開発された宗教儀礼のための「祭祀道具」である。通貨は、単なる商品交換の媒介となる便利な道具、などでは毛頭無い。

「全て金のために動く社会」=市場経済社会では、社会生活の全面に通貨が現れている。死者の死体が埋葬されず、街の、あらゆる場所に死体は放置され、散乱している。市場経済下では、「死は、至る所に散乱している」。自殺、無差別殺人、戦争が「常道」となる。

 これを最も自覚させられているのはアルバイト、フリーターである。彼等は、わずかな金と引き換えに仕事を行っている間、「自分が死んでいる事を自覚し続けている」。将来の希望も持てず、明日、解雇されればホームレス=死への扉が開かれる。その扉の前に日々、立たされている。1日の仕事が終わり、5000円札が掌に乗せられた時、その紙幣は、自分の死体である事が分かる。指に針が刺されば、人間は「痛い」と叫び、声を上げる事でケガを負った事を、自分自身で自覚化し、また周囲にも知らせる。自分が死体に成っていれば、人間は、自殺し、無差別通り魔殺人を起こし、テロを起こし、戦争を待望し、自分と社会全体に「死を呼び寄せ」、自分が死体に成っていることを自覚化し、また周囲に知らせる(注1)。

 紙幣の本質は「死」である。紙幣と交換され「売買される」人間の、その絶望=死の自覚は、自殺と、無差別通り魔殺人と、テロ、と戦争へと「行動を起こし始める」。

市場経済の本質は、自殺と、無差別テロと、世界大戦である。世界全体が市場経済化する22世紀へと至る時代は、自殺と、無差別テロと、戦争が常態化する。



*注1・・・こうした働く人間に対する扱い方は、ロスチャイルドによるアフリカ・コンゴにおける黒人奴隷支配と、現在の日本との間で「違いは存在しない」。

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