杉並区での教科書採択をめぐる情報

at 2005 08/10 18:26 編集

本日、弊サイト掲示板に、「杉並の教育を考えるみんなの会」のメンバー方のから、下記のメッセージを頂きました。
お求めに応じて、以下に転載し、私からも多くの皆様にご協力をお願い申し上げます。

■「緊急!杉並区が大変です・ご協力お願いします」

8月4日の教育委員会で採択が継続審議になった杉並の採択日は12日です。全国で大田原市しか採択できていない「つくる会」は集中攻撃をかけてきており、反対意見を言った女性教育委員を個人攻撃しています。公正な審議が行われるべき教育委員会に、教科書の執筆者が自ら反対意見を封殺し、圧力をかけるような行為を許すことはできません。
詳しくは「杉並の教育を考えるみんなの会」のHPをご覧ください。「みんなの会」は特定の党派とは関係なく、普通の市民が個人の意思で参加して、相談して活動している会です。

みなさま、杉並は大変危ない状況です。おひとりでも多くの方の応援をお願いいたします。杉並区教育委員会に皆様の声を届けてください。方法はHPに書いてあります。どうぞよろしくお願いします。

「杉並の教育を考えるみんなの会」のページへは、こちらからどうぞ

「民営化の賛否を問う総選挙」などではない

at 2005 08/09 17:53 編集

■ 総選挙の争点

8日の参議院本会議で、郵政民営化関連法案の否決に対し、小泉首相は、衆議院解散を強行しました。
自民党執行部は、この解散を「郵政解散」と呼び、「総選挙の争点は郵政民営化であり、この賛否を国民に問う選挙だ」と言っています。
確かに郵政問題をきっかけとして解散を行なったのですから、「郵政解散」かもしれません。
しかし、この9月に行なわれる総選挙の争点は本当に「郵政」なのでしょうか。

郵政民営化については、47都道府県議会すべて、そして、9割を超える市区町村議会が、「反対」または「慎重に検討を」という内容の意見書や決議を採択し、政府に突きつけています。
国民や地方自治体は、郵政民営化など望んでいないことは明らかです。

■ 「郵政」の裏に潜むもの

私は、昨夏の参院選のときも書きましたが、争点はやはり「憲法」だと思っています。
自民党は今年11月、民主党は来年、憲法改定案を示すと言っています。
両党の主張は、「軍隊を持つ」「いつでもどこでも海外に軍隊を送れるようにする」という点で一致しています。
私は以前より、両党の案が出揃った辺りから議論が活発化し、2007年頃が「山場」になるのではないかと見ていました。
昨日までの衆議院議員の任期は2007年11月まででしたから、自民・公明・民主による安易「談合」などは、選挙を控えている都合から、少しは慎重にならざるを得ないと思っていました。

しかし、今回の解散によって、9月の総選挙で選ばれた議員の任期は、2009年9月までとなります。
2007年にあるのは、半分だけ改選を行なう参院選だけとなり、自民・民主と、公明の「改憲3党」が何を行なっても、国民の批判の影響があるのは「参議院の半分だけ」となってしまうのです。

現在、自公民を合わせれば、衆議院・参議院とも9割以上の議席を占めています。
戦時中の「翼賛選挙」で「大政翼賛会」議員の占めた議席の割合が81・8%ですから、それをはるかに上回る「危機的な状況」にあります。
「戦争は嫌だけど仕事の都合で自民に」「平和は大事だけど何となく民主に」などと言っている場合ではないと思います。

■ 今しかない

「軍隊を持つ」「いつでもどこでも海外に軍隊を送れるようにする」つまり日本を「戦争する国」にしようとする政治家に「NO!」を突きつけるのは、事実上、今回の総選挙がラストチャンスだと私は思います。
国民投票のときが本当の最後ですが、自公民3党が「否決されにくいシステム」を作ろうとするのは、明らかです。
つまり、今しかないのです。

■ 憲法を擁護する人を

私の祖父は長崎の原爆で亡くなりました。
今日8月9日は、祖父の60回目の命日にあたります。
もう二度と祖父のような戦争による犠牲者を出さないために、また私達が継承してきた平和と民主主義を子どもたちに残していくために、日本国憲法を擁護する候補者・政党の応援に力を注ぎたいと思います。

私は、今回は「日本の人々の命がかかった選挙」だと位置付けています。

広島「平和宣言」に思う

at 2005 08/08 08:29 編集

■ 広島「2005年平和宣言」

広島に原爆が投下されてから、60年目の8月6日を迎えました。
私は先月の日記で、原爆慰霊碑への心無い犯行に触れ、その慰霊碑が建立された53年前、広島は既に「人間」を見つめ、「世界」に目を向けていた、と書きましたが、今日、秋葉忠利市長が読み上げた2005年平和宣言を聞き、その思いが、被爆から60年を経た今も、連綿と受け継がれていることを感じました。

しかし今、4人に3人が戦後生まれ。戦争を知らない世代だと言われています。
被爆者の方々も平均年齢が73歳を越え、テレビでは、「60年は(命が)あったが、70年はない」という被爆者の方の声が紹介されていました。

「平和宣言」は語ります。
この日は、「核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻」であると。

志や記憶は、時とともに失われます。
しかし、絶対に風化させてはならないものがあります。
私は、それを受け継ぎ、「果たすべき責任」を考え、行動への決意を実践していきたいと思います。

■ 「エノラ・ゲイ」乗組員の声

この広島に60年前、原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の乗組員の声が報じられています。

●セオドア・バン・カーク氏
 「原爆を投下するまでもなく、日本は敗戦国だった」
 「日本は国土の85%が焼き尽くされ、投下しなくても工業基盤は崩壊していた」
 「日本はそれでも戦争を継続しようとしていた」
 (投下時)「誰かが『戦争は終わった』と言い、私もそう思った」

●モリス・ジェプソン氏
 「陰鬱な瞬間だった。下界では大勢の人が殺されていたし、喜びはなかった」
 
●ポール・ティベッツ氏(機長)
 「歴史のあの瞬間、原爆は必要だった。我々は後悔していない」
 「私は、日本の退役軍人や市民からも感謝された。
  (原爆投下がなければ)彼らは、捨て身の本土防衛をせねばならなかったからだ」

このティベッツ氏は先日、広島で被爆者の方々と会ったとき、「謝罪はしない。こういう言葉がある。『リメンバー・パール・ハーバー』。」とも語っていました。

皆さんは誰の声を、どのように思われるでしょうか。

■ 「無反省」「目隠し」という罪悪

残念ながら、米国では「無反省」なティベッツ氏のような考え方が支配的です。
だからこそ、地球上の生物を何万回も皆殺しにするだけの核兵器を保有し、ことあるごとに核兵器の使用を検討し、大統領の周囲に絶えず「核のフットボール」と呼ばれる、核ミサイル発射のためのシステムが置かれているのです。

また、ティベッツ氏の言い分は、日本国内にもある「思想」と共通しています。
「必要だった」「(相手から)感謝された」などと、旧日本軍の侵略行為を正当化、あるいは美化しようとする人々です。
いま日本でも、そのような教育(洗脳)を、子どもたちに施そうとする動きがあります。
彼らがつくる教科書は、子どもたちに「献身」を迫り、「外敵と戦う」ことを植付けようとしています。
国益などのために、子どもたちに「犠牲」を迫るものです。

米国の子どもたちには、核兵器がもたらした惨禍どころか、広島・長崎のことすら教えられていません。
最近、国から無償で与えられたものは、軍が兵士を「無感情で敵を殺すことができるよう開発された訓練機」そのままの、家庭用ゲームソフトです。
戦争や核兵器の使用に対する「無反省」が世界各地で再び戦争の惨禍を繰り返し、そのことを子どもたちに対して教育現場で「目隠し」するどころか、将来、戦場へ駆り立てることができるよう図っているのが、今の米国です。その姿は罪悪とさえ言えるでしょう。

私たちが大切に思うものとは、全く逆です。
平和宣言も、国連憲章も、日本国憲法も、全て「人間」や「世界」といった大きな視野に立った上で、「未来世代」「将来の世代」「将来の国民」として、子どもたちを見つめています。
これらは、全て「守るべきもの」として、子どもたちを見つめているのです。
どちらが「あるべき姿」なのか、それは言うまでもありません。


今年の「平和宣言」も、私に多くのことを教えてくれました。
その中でも特に「継承」「目ざめ」「決意」、このことを心に刻み、これからもあらゆる問題について考え、行動を起こしていきたいと思います。


「愛国」が育てるもの

at 2005 08/05 16:54 編集

■ 杉並区教育委員会の採択延期

4日、「つくる会」教科書が採択されるのではないか、と危ぶまれた杉並区では、教育委員会がその日の採択を見送り、「延期」を決めました。

この杉並区では、「つくる会」教科書を推す校長らが、調査員の評価を書き換えさせるといった不正事件が相次いで発覚し、注目された地区でした。
採択日当日、教育委員会には、反対派・賛成派が入り混じって数百名が集まっていました。
ニュースでは、双方の声が次のように紹介されていました。

反対派「このような教科書を、真っ白な子どもたちに与えたらどうなるのか考えてもらいたい」
賛成派「愛国心を教えることが真の国際人を育てることにつながる」

私は、この賛成派の言葉に、疑問を感じざるを得ませんでした。

■ 「愛国」というキーワード

少し考えてみて頂きたいと思います。

昨年8月のサッカー・アジア杯での「愛国」を唱えて暴行に及んだ中国のサポーターは「真の国際人」と言えるでしょうか。

今年2月の島根県議会「竹島の日」制定に対する抗議だとして、「愛国」を掲げ「日の丸」を焼いて踏み付けた韓国の人々は「真の国際人」と言えるでしょうか。

今年4月の中国各地での「反日デモ」において「愛国」を掲げて乱暴狼藉を行なった人々は「真の国際人」と言えるでしょうか。

自国の対韓工作に利用するため、日本人を拉致したという北朝鮮の「特殊部隊」の人々は、「真の国際人」と言えるでしょうか。

どれも、相手や周囲の方々のことを一顧だにしない、独善的で排他的な人々であり、「真の国際人」どころか、自国内でも満足に通用しない思考の持ち主ばかりに映ります。

日本の「つくる会」教科書の賛成派が、教育現場で「愛国心」を押し付けて育てようとしているのは、正にそのような人々の「日本版」であることに気付くべきだと思います。