「社会の木鐸」とは。

テーマ:政治・社会・文化論

マスコミの偏向報道、劣化にはひどいものがあり、

かつては、「マスコミ業界」というと、

あこがれの職業として、世の中でも羨ましがられたものだが、


いまや、「マスゴミ」と呼ばれ、忌み嫌われ、軽蔑の対象とすらなっている。

権力におもねる、世論を煽るだけ煽る、スキャンダルを過剰報道する、人権無視。

自分たち自身の誤報やスキャンダルに対しては、謝罪もしない、責任もとらない。


この10年あまりもの間の、マスコミの劇的な劣化が招いたことで、

やはり、それは自業自得といわれても仕方がない。


しかし、私自身も、キャリアのスタートはマスコミ業界であり、

そのあとも広告業界で働いていていたから、

なんだかんだ、いまでも「体の半分」はこの業界に属している。

そんなわけで、

結局、今、マスコミの業界でなにが起こっているか、

ということは、やっぱりよくわかっているつもりなのだが、


結局、外目から見ると、


マスコミのことを、「巨悪」としてとらえている人も多いと思うが、

実際に現場で働いている人たちからすれば、


リストラはされる、給料は大幅にカットになる、社内の雰囲気も悪くなる。

まして、将来への展望など切り開けない。

経営は、老人がのさばって閉塞状態にある。


ということで、嘆きや、悲痛な声ばかりが聞こえてくるのである。


彼らも当然サラリーマンで、子供もいる人もいれば、家のローンもある。

もろちん、一般の業界に比べれば、

政府の規制の恩恵で、テレビや新聞なんかは、

法外に高い収入を得てきたわけだが、

それでも、この先に自分たちの会社が、本当につぶれしまうんじゃないか、

ということを、戦々恐々、どうしようと途方に暮れている人も多い。


私も、実際に彼らとつきあっていく中で、

そんな話をよく聞くわけであるが、


しかし、こういうときにいつも私は思うのが、


「原点に戻ってほしい」


ということである。

そもそも何のために、マスコミの世界を目指したのか。


学生時代。多感な時期に触れた経験が何らかの後押しになったはずだ。

私の場合は、阪神大震災の経験がやはり原点なのだが。


ベトナム戦争や、貧困の問題や、天安門事件への怒りや、

世界中で起きている餓死者の問題や、

いつまでたっても議会制民主主義が定着できない日本への失望、

いじめの問題、教育問題かもしれないし、

ひょっとしたら、憲法九条の問題かもしれないし、

自主外交を日本は行うべきだと考えていた人もいるかもしれない。


それぞれが、マスコミ業界を目指すにあたっては、

コネ入社でもない限り、あれだの倍率を通過するわけだから、

学生時代に、何らかの強烈な思いがあって、

それゆえに、自分を磨いて、その業界に身を投じたことと思う。


その、原点に立ち返れば、

自分たちが、日本がまさに今、国難にあり、

衰退の時期を迎えようとしているときに、


ここで、立ち上がらないで、なにが「社会の木鐸」かと思うのだ。


日本のマスコミは、

先日のブログ記事でも振り返った通り、

そもそも政府、官僚の支配を受けやすい構造になっている。


これはおそらく、当時、米ソ冷戦時代にあったから、

日本で社会主義革命が起こっては困るので、

アメリカや日本政府としても、

国民世論に多大な影響を及ぼすマスコミをコントロールする

必要があったためだと思う。


それが冷戦崩壊後は、

本来、韓国や、台湾のように、

日本も冷戦構造の呪縛(55年体制)から脱却しなければ、

いけなかったわけだが、


要は、日本人は変化をのぞまない国民性であるということと、

あとは、「自社さ連立政権」というとんでもない茶番政権の誕生によって、


結局、冷戦時代に行われていた、

政府、官僚によるマスコミ支配がそのまま続いてしまい、

結果それが現在のような自公政権の延命につながったのだと思う。

日本は、この10年間でこれほどまでに国力は低下したのに、

その事実をちゃんと報道してきていないから、

国民の意識は変革しないのだ。

「日本の一人負け」も「デフレ」だというように、マインドコントロールされている。


おそらく次の衆議院選挙にあっては、


民主党がギリギリ過半数に届くか届かないか、

という選挙情勢のために、

自公政権は第二の国策捜査として、

郵便不正DM事件を民主党議員の逮捕にまでもっていき

またマスコミにそれを過剰報道させるだろう。

または、岡田幹事長と西松の問題をあぶり出すなどして、

徹底的にイメージダウンをはかり、

政権交代阻止に死に物狂いに向かうと思う。


その際に、例によって、

小泉郵政選挙の時と同様に、

マスコミもまた世論形成に一役かうことになると思う。


だが、マスコミの人間は本当にそれでいいのか?


ということである。

原点に戻ってほしい。

もちろん、日々の生活もあるわけだが、

しかし、そもそも何のために、マスコミの業界に入ったのか。


自分たちの子供や、孫の世代においては、

このままでは日本の国はこのまま衰退がつづくと、

本当にまた戦争が起きるかもしれないし、餓死者もでてくる。


そういうときに職業倫理感として、

自分たちは、いったい何のために働いているのか、

ということである。


もちろん経営側は自公政権や、官僚と結託しているから、

なんだかんだで、既存のテレビ、新聞にとって、

有利な密約をとってくるかもしれない。


しかし、結局、今のマスコミの経営陣がやっていることは、

あくまで、自分たちが経営側にいる間の延命であって、

21世紀のテレビ、新聞がどうあるべきかということを、

考えてやっていることではない。


たとえば、新聞社は、ネットビジネスへの転換をちゃんとやらねば、

間違いなく崩壊する。

これはアメリカの流れをみればよくわかるだろう。


ネットビジネスになった場合は、コンテンツの独自性が重要だから、

いままでのような「横並びの記事」や、通信社の配信記事、

記者クラブ取材記事では、読者は満足しない。

より深い独自取材と、深い洞察、広い視野というものを

読者は求めてくるようになる。

その時に向けて、今、新聞の編集は、

読者のニーズに満足たるのか。


テレビに関してはそもそも報道は論外だが、

番組制作に関しても、「コンセプト」がなおざりにされている。

だから、どのチャンネルをつけても、似たようなつまらない番組になっている。

いったい視聴者にどんな良質な番組をつくっていくのか、

コンセプトはどこにおくのか、

そこに対して、徹底的に「悩み抜く」作業を省略しているから、

タレントの力に頼ったり、つくりがずさんな番組が増えていると思う。


もちろん、マスコミは今、「衰退期」だから、

働いていくうえでもしんどいだろう。


しかし、そういうときだからこそ、

ここで踏ん張って、自分たちはこの日本の国難の時期に、

いったい何を伝えるのかという原点に戻ってほしい。


給料は低くても、極論するといいじゃないか。

自分たちの仕事の中身が重要なのである。


さて、テレビを見ても、最近のコメンテーターと言われる人たちは、

ロクな人がいなくて、そのコメントも視点も、

ディレクターに指示されているのか、いちいち浅いのだが、


しかし、本当に知恵のある人は、

これはテレビや新聞が、結局、政府や企業、官僚の

既得権批判を恐れて、腰砕けになってしまったからだろうが、

いまはインターネットでの情報発信に向かったのであろう。


私は、私自身も、レガシィ、インターネットと、

いずれにしてもメディアにたずさわる仕事をしていて、

こういう人たちの発言を見て、

「ハッ」と気づかされることがある。


たとえば、郵政民営化と、アメリカの関係を指摘したために、

メディアが姿を消された、

・めざましテレビ「言わねばならぬ」の森田実氏 は、

広告の売上ばかりに目がいって、

簡単に魂を売り渡すマスコミの現状を

「腰抜けばかりの世界」と評したうえで、

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この5年間、テレビは「小泉劇場」の主舞台だった。テレビは早朝から深夜まで小泉純一郎首相を讃え、褒めつづけてきた。小泉政治批判者はほとんどパージされた。
 そして、「ポスト小泉」の自民党総裁選が政治ニュースの中心を占めるようになったら、「小泉首相の意中の人」と目された安倍晋三氏が、「我が身可愛さ」「寄らば大樹の陰」のほとんどの自民党議員から支持された。それだけではない。彼らは、小泉退陣後も小泉(前)首相を褒めつづけている。どこまでも小泉首相にゴマをすりつづけている。
 そのうえ、愚かなことに、大新聞を含むマスコミは無盲目的に安倍賛美に加わっている。こうして安倍首相の高人気、高支持率がつくられている。
 「テレビ局は、内閣支持率を上げれば政治番組の視聴率が上がるから、意図的に内閣支持率を上げている」

前述の元郵政相の話である。
 マスコミは、電通の呪縛を自ら解き、政治的中立性を回復すべきである。

マスコミが時の政治権力の走狗になることは、マスコミの自殺行為である。 

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としている。


以前、ブログにも書いたが、

環境問題と、食の安全、日本文化の重要性など、

さまざまな問題点を、マンガで分かりやすく解説してくれている

「美味しんぼ」作者の雁屋哲氏は、

自身の5/12 ブログ「環境問題」という記 事で、


なぜ著者がオーストラリアに移住した後も、

もう老人の域に達する年齢になっても、

政治家、役人の利権でめちゃめちゃに破壊された

環境問題についてもこのように取材し、問題提起することは、


自分たちの子供や、孫たちに、

住むことができる国を残していくためだとして、

若者の政治の無関心ぶりを嘆いている。


そして、三十代、二十代の人間を

このままではとても生きていけない国になる、

ということを「脅す」という表現を使って警告を出している。


元・自治大臣で、公安(警察)のトップもつとめた、現在は弁護士の

白川勝彦氏は5/20のエントリーで、 このように書いている。

元・警察も管理する立場にあったトップ自らが、

今回の「国策捜査」について批判する。それはどれほど勇気がいることだろうか。

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だから、私は検察から攻撃された小沢民主党代表を援護したのである。小沢氏の公設第一秘書が逮捕された直後に「検察を使って政敵を抹殺する卑劣な行為」と断言することは、慧眼でも何でもない。皆がそう思った筈だ。ただ勇気がないとそう断ずることはできないのだ。私だって好んで警察や検察を敵に回したいとは思わない。弁護士としての仕事上、ハッキリいってマイナスとなる。しかし、自公“合体”政権との戦いの先頭に立っている者が抹殺されようとしているとき、これを援護しなければ戦いにならないだろう。ただそれだけのことだ

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自身が、小泉政権下で、

福田官房長官が主導する「国策捜査」のために、

無実の罪で、一年以上も勾留されるという、

新党大地の鈴木宗男氏は、5月6日のエントリーで次のように書いている。

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昨日のこどもの日、五月晴れの下、気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりを見ながら一瞬のやすらぎをおぼえながらも、いかほどの人が安心して生活しているか、どれだけの人がゴールデンウイークを享受できるのかと自問自答する。
 政治があったかと考える時、申し訳ない思いだ。格差が拡がり国民はヤル気を失っている。節度や道義、勤勉性をとした国民性が生かされていない。いや無くなっている。国力が落ち国益にわぬ政治に毅然とノーと言わなくてはいけない。

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鈴木宗男氏は、国策捜査で勾留されている間に、

ガンになってしまい、しかも悪化させてしまったのだ。

幸い手術は成功したが、

それでも精力的に全国を飛び回り、「政権交代」を訴える。

それはこの文章に、彼の「思い」というのが、凝縮されているように思える。


そして、私はやはり植草一秀さんの名誉回復が、

鈴木宗男氏や、佐藤優氏に対して、

きちんと行われていないことを、本当に気の毒に思っていて、

なぜ彼がそもそも国策逮捕のえじきになったかといえば、

りそな銀行の実質国有化に伴う自民党のインサイダー取引問題や、

竹中平蔵の経済政策を厳しく批判したがために、

横浜の中田市長の後援会の帰りに、

エスカレーターに乗っていただけで、女子高生のスカートをのぞいたとして、

警察(元・首相のSP。つまりインテリジェンス側の人間)に逮捕されて、

手鏡を没収。(テレビ出演や、講演も多いので、手鏡ぐらい持っていて当然)


またその女子高生の母親が、問題化しないように申し出てきたのに、

検察はそれを却下し、なんと五か月近くも勾留するという、

とんでもない冤罪だったのに、


結局、マスコミがチカンの常習犯であると、

意図的にデマを報道したがために、国民はそこばかりに目が行き、、

植草さんが置かれている、大変な人権弾圧の状況は、目くらましをされていた。


彼は昨日のブログでも

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政権交代を問う、日本の命運を分ける総選挙を目前にして、国民が間違った判断を下さぬよう、また、国を憂い、日本刷新を追求する政党や政治家、あるいは本当の意味での有識者に、間違った判断を下してもらいたくないと願っている。そのために、ネットから「真実」の情報を発信し、ひとりでも多くの方に、「真実」を探求してもらうことが極めて重要だと考えている。

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会社経営の傍ら、情報発信をつづけることは大変なのに、

なぜ自身が、あえて権力に立ち向かうかという意思表示をしているが、


つまり、

私が言いたいことは、


国家権力が暴走したときに、

そこに歯止めをかける、「民主主義の番人」は、本来マスコミの仕事である。


ということである。だから第四権力なのである。

それなのに、いったい当のマスコミは何をしているのか。


自分たちのこともそうだけど、

まず、天下国家のことを考えて、自分たちの「使命」に立ち返るべきである。


もし、マスコミの中で、きちんと、

こういう国家権力の問題を批判できる新聞やテレビがでてくれば、

国民の多くは、政権交代をのぞんでいる。

ゆえに、大きく支持されるだろう。


たとえば、裁判員制度ひとつとっても、

なぜ人権侵害だらけの検察の取り調べにあたって、

「取り調べ可視化法案」の問題を、もっとやらないんだ。


香港、韓国、台湾のアジアの国でさえも導入している、

人権問題の基本中の基本ともいえる法律だろう。


こういうことに対して、もっと警鐘を鳴らすのがマスコミの仕事なのに、

常に、国家権力や、代理店、広告主、創価学会、検察などの

権力者ばかりにおもねるから、

「マスゴミ」などと、国民から軽蔑されるのである。


インターネットと新聞、テレビの違いは、

「記事の信頼性」です。

というのであれば、


こういう国難のときこそ、自分たちがいったいどういう役割を果たすかを、

もっと考えていくべきである。


「かくすれば かくなるものと しりながら

 やむにやまれぬ 大和魂」


国を思い、安政の大獄に散った

吉田松陰の気概を、少しはもってほしいものである。